最近とみに私が悩ませるのが、いまから2人前の彼女だ。

 

彼女と別れたのは2012年だから、もうかれこれ9年になる。

 

なのにその彼女の生霊が私を悩ませるのである。

 

そりゃ彼女と別れた2012年は大変に酷かった。その都度都度失恋は辛いものだが、あれが一番に辛かったかもしれないと思わせるほど大ダメージだったが、それもどのくらいだろうか?1年くらい引きづってそのあと癒えた気がする。

 

普通に生活していたのだ。彼女の顔などここ数年は思い出すこともなくやっていたのに、最近になってまたぶり返してきた。

なぜだろう?

 

私が彼女にしてきた愚行の数々が思い出されて、毎日ため息がでるのである。

 

私は神も仏も信じる仏教徒だから、もちろん罰が当たる。罰が当たるのは、過去の愚行とすぐに結びつけて考える。

 

つまり私が彼女にした行いのせいで、私はこれ以上上には上がれない。彼女にあんなことをやったから今アルバイターなんんだ。

 

こんな風に考えるのである。私は彼女にやった愚行の十字架を背負い、この先一生生きて行かなければならない。そう思っている。

 

私が彼女に何をしたのか?

 

それは酷いことをした。何であんなに酷いことをしたのか今でもわからない。本当に今は反省してる。会って謝りたい。心からそう思っている。私が今のうだつの上がらない生活をしていてその罪が償われるのだとしたら、私はこの生活も厭わない。彼女と別れたとき、私はとんでもなく苦しんだ。地獄に突き落とされたくらいかのように呼吸をするのも苦しかった。しかしそれが私が彼女にしてきたことの代償だとするのならば受け入れた。あの一年はつらく苦しく暗いものだった。

 

あの暗黒の1年を乗り越えてなお、10年近くたったいまも苦しめられるとは、私が彼女にしてしまった罪の重さを感じるのである。

 

まあ能書きはこのくらいにして、じゃあ一体私は彼女に何をやったのだろうか?

 

私は2001年から2012年までの11年間アル中だった。

 

この時期の私は本当に酷いものだった。

 

ろくに働きもせず、昼からビアを飲んだ。レギュラーで働いてたこともあったが、仕事が終わる5時まで酒が我慢できなかった。5時になると車で家に直行して酒を飲むのではなく、まずは会社の隣のコンビニで酒を買って、車の中で酒を飲んで、それから飲酒運転で家に帰った。

 

そのうち早い時間から酒が飲みたくて仕事もすぐにやめた。

 

酒中心の生活を送るために私は予備校の非常勤講師の仕事を手にした。午後数時間の仕事だ。

 

というのも、私は高校生のころから朝が起きれなくなった。でも学校に属している以上、朝起きていかなければならない。だから朝は半死のような状態で通ったものだった。それでもやっぱり耐えられなくて1か月くらい休んだ気がする。

 

大学も同様だった。大学は高校より自由性が高いし、親元でもないということで私が大学を卒業するまでに7年もかかった。どうしても朝が起きれず、授業に出られなかったためだ。

 

当時朝は誰しもが辛いものだから自分が弱いんだって思ってたけど、今思うと普通の人は朝はあんなに病的に辛いものではなく、私は仮面鬱という病気だったことに、後に精神保健福祉士や心理カウンセラーの勉強をしていて気づくことになる。

 

まあその、なんていうか、結局この高校生の時に発症した病はずっとずっと治ることなく、彼女と付き合っていた頃も朝が起きれずに、非常勤の仕事を選んでいた時だった。

 

多分2008年くらいからの付き合いだったと思う。

 

私より13歳年下の彼女は、連れて歩いてても男の視線が結構彼女にいくくらい、まあ普通にきれいな子だった。

 

しかしながら私は今でも自分がというか、付き合うという行為がわからないのだが、みんな人を好きになって付き合うのだろうか?その好きという気持ちはどんなものなのだろうか?

 

私はその当時はまだ仮面鬱や後に気づく発達障害、境界性人格障害、対人恐怖症など、実は精神疾患のデパートのような自分には気づいていなかったので、生きるとはこんなにも辛いことなのか。他人にできて自分にできない自分はよっぽど弱いんだ。くらいに思っていた。

 

しかし今思うとそりゃ普通の人のようにできるわけないだろ。自分は精神疾患のデパートなのだから。

 

で、当時の私はどうして人が結婚するのかとか、恋人同士になるのかとかが理解できていなかった。

 

私が恋人になる理由はただ単にセックスがしたいから。

 

世間一般の人々もセックス目当てで付き合ってるんだろう。

 

そう思っていた。

 

しかしだとすると結婚は?

 

そう、セックスだけが女と付き合う理由だとすると、どうしても結婚までは行きつかないのである。

 

みんなは愛だとか好きだとかいうが、私にはその気持ちがどうしてもなかったのである。おそらく精神疾患者や発達障碍者は何らかの障害によってその機能がないように思う。少なくとも私には女性は性の対象以外の何物でもなく、愛とか好きという気持ちなんてわからなかった。ただ動物的に備わった性欲のみに揺り動かされていたのだった。

 

まあそこからの教訓と言えば、障碍者にも性欲はあるということだ。

 

なんで私がそんなことを言えるかというならば、私は克服したからだ。克服して別の人間になったからこんなに客観的に見えるのだ。今なら結婚の意味もわかる。なぜなら人を好きになるという気持ちがわかるからだ。

 

私がどうやって精神疾患を克服したかについては後々話すとして、当時の私は本当に酷かったということだ。

 

結局私は2008年から2012年までだから彼女とは4年くらい付き合っていたのだろう。本当に悪いことをした。

 

これ以前の彼女たちにもそりゃ悪いことをしてきたが、この彼女に一番悪いことをした。

 

もちろんかわいい子だったから、ただセックスをしたいだけのためにつきあった。

 

私が女性と付き合うのにそれ以上の理由もそれ以下の理由もない。

 

当時の私はただ単にセックスだけが目当ての大馬鹿物だったのだ。

 

当時の私はとにかく男の価値はセックスをした女の人数で決まる。しかもそれは美女でなければならなかった。だから私は彼女と付き合った。

 

なんだろうか。私は多分にして狡いところがある。人の心の隙につけこむうまさがある。精神疾患者の直感というのだろうか?この人こういうことで悩んでるとか、自信がないとかすぐにわかる。大体の男性経験数とか、この人が満たされた人生を送ってきたかどうかがすぐにわかる。満たされてきていない人間は案外つきあうのがたやすい。対外人は悩みを持っている。そこに付け込むと案外人は心を許す。そうやって私は女性たちと付き合ってきた。

 

だから私がつきあった女性の中にリア充はいなかっただろう。

 

私は太陽のように明るい女性は苦手だ。

 

心に付け入る闇の部分がないからだ。

 

どちらかというと私は闇だ。人の闇をみつけてその部分に入り込む。

 

しかし残念なことに人々特に日本人には闇が多い。だから私はモテた。自分でいうのもなんだがモテた。精神疾患なのにモテた。いや、精神疾患だったからこそモテたのかもしれない。だからセックスはたくさんした。バカみたいにした。人生の大半をセックス中心主義で生きてきた。だからフロイトの思想は本当だと思った。

 

でも今はわかる。私は間違っていたんだと。私は病気だったんだと。もう50ともなると性欲もいいかげん失せて、いろいろな物がみえてきて、ああ、私はなんと人生を棒に振ったのかとわかるのである。

 

あんな、お金を払えばできるような行為に振り回されて、私は一体何をやっていたのかと。

 

でも若いころは恋愛がすべてだった。童貞かそうじゃないかは男にとって大きな問題だった。セックスの人数が一桁なのか三桁なのかでも全然違う。そんなものに人生をかけていたのかと思うと本当に後悔しかない。

 

私の半生は本当にセックスに振り回された半生だった。

 

精神疾患者はきっと性欲が強いんだと思う。私は40代半ばくらいまで中学生のようだった。

 

でも今は違う。やっと普通の人間に戻れた。そう思う。

 

結局2人前の彼女のことを書こうと思ったのに、私のセックス人生を書いてしまった。

 

失敬