ブルー・ライト・ヨコハマ」は、1968年12月25日にリリースされた、いしだあゆみの26作目のシングル


横浜ご当地ソングとして代表的な楽曲であり、横浜市が2009年横浜港開港150周年を記念して「横浜市のご当地ソング」のアンケートを取ったところ、2位の童謡「赤い靴」を大きく引き離し、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が第1位となった[1]。開港150周年を控えた2008年12月からは、京急本線横浜駅接近メロディとして使用されている[2]。編曲は塩塚博が手掛けた[3]

いしだあゆみの代表曲であり、累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった[4]。いしだにとって自身初のオリコン週間1位を獲得し、1969年の年間チャートにも第3位にランクインし、「“歌手”いしだあゆみ」のイメージを確立した。また、いしだあゆみは本楽曲で1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。紅白では他にも1973年第24回1993年第44回と、合計3度歌唱されている。

本楽曲の作曲を手がけた筒美京平にとっても、自身が手掛けた楽曲で初のオリコン週間1位を獲得する出世曲となった。また、筒美は本楽曲で第11回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。

当初の出だしは間奏で使われているものだったが、歌いにくかったのか、いしだ自身の癖を採用した。

作詞者の橋本淳によると、本楽曲のイメージは港の見える丘公園(横浜市中区山手)から見える横浜と川崎の工業地帯の夜景と、自身がかつてブルー・コメッツと共に降り立ったフランスカンヌの夜景の美しさを重ね合わせたものであるとのこと[5]

1969年2月24日生放送フジテレビ系列歌謡番組夜のヒットスタジオ』では、「コンピューター恋人選び」のコーナーにおいて、いしだの意中だった男性歌手森進一が発表される。だがその後いしだは、森の目前で本楽曲を所々で歌えなくなり、急遽小川知子が側に駆け寄り一緒に唄ったが(小川は2月12日にボーイフレンドの福澤幸雄を事故で亡くしてばかりで、同日『初恋のひと』を涙ながらに歌唱した)、2番目の歌唱中いしだが突然号泣してしまうハプニングが発生。同曲の終わり間際では、森がいしだの涙をハンカチで拭う場面があった。後年、当番組の10周年記念特番(1977年11月7日放映)でこの映像を振り返った際に、いしだ自身は「私物凄く上がってしまい、何歌ってるのか分からなくなった」と懐古し、又いしだの隣に居た森は終始気不味い表情を浮かべていた[6][7]





オリジナル盤は両曲とも、作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平

  • オリジナル盤
  1. ブルー・ライト・ヨコハマ


https://www.uta-net.com/song/4038/