勝ち組・負け組。 | プロテオグリカン 化粧品 石原久真子ブログ Powered by Ameba

勝ち組・負け組。

昨日書いた記事をもう少し詳しく掘り下げて書いてみます。

いきなりですが私は高卒かもしれない高卒です。
私は旭川高専制御情報工学科3年修了という学歴なのです。
高専は5年制の学校で
私は3年までの単位をとっているので高卒となりますが
卒業はしておらず、高卒になるのかもわからない立場です。
勝手に学校を辞めているので
学校が就職の斡旋をしてくれるわけでもなし
進学するにも高専での勉強は数学・物理メインで
受験に必要な英語力というものが受験レベルにはほど遠い状況。
というかそもそも学校では受験向けの勉強など一切していない状況。
でもやっぱり、
ロボット工学・・?とかにはあまり興味がなかったので
興味のないことを勉強し卒業までに数年費やす非効率には耐えられないと思い3年修了退学を選びました。

しかしなぜ高専を選んだか??って??それは
親が大学受験を望んでいなかったから、
ということが理由として大いにあります。

私の両親の考え方というのが
「女の子は勉強ができなくてもいいから家庭的であればいい
むしろ少しくらいできないくらいの子の方が可愛い」
といったもので
私が幼稚園くらいのころからおかぁさんが
高校はそこそこレベルの高いところに行ってその後は短大に行きなさい、と
言っていたのをはっきり覚えており、潜在意識にインプットされていました。
お嬢様短大卒で家庭的な一人娘になって欲しかったのでしょう。

しかし、子供とは親の意思に反してどのような能力をもっているかわからないもので
親の希望に反して私は
勉強、スポーツはできる子だけど
お片づけやお手伝いはまるで気が利かない子でした。
ピアノを習わせても、
お母さんが好むようなメロウでロマンティックな曲には全然興味がなく
ショパンのワルツなどのすばしっこい曲ばかり好んで弾く子でした。


そんな私ですが、なにせ「一人っ子で一人娘」なもので
子供心ながらに両親の望む娘になりたいとひそかに思っていました。

そこで義務教育後の進路に直面した際の行動に反映されるわけです。

本来ならば進学校に行き、東京の大学を目指したかった私。
中学生の頃は哲学や芸術に興味があり、
何を目指すとははっきり決めてはいなかったのですが
その興味を生かした将来性を広げたかったからです。

しかし両親は
やっぱりNOの返事。

なので、進学校を受験するモチベーションがなくなり
高専にいくことにしたのです。
(これからはIT社会かと思いまして、)

実際入学してみると
よき仲間に出会えて学生生活は楽しかったのですが
とにかく高専の授業には興味がナイ・・・・・。
(先生、ゴメンナサイ!!)
なので恋をしたり、バンドをしたり、ファッションに興味を持ったり・・

そんな3年間を送りました。

で、3年修了退学をした後、路頭に迷う期間もあったのですが

やはり自己実現や夢をあきらめきれなくて
思い切って勝手に家を出たのです。
どのみちNOと言われる結果なら、強行突破しかなかったので。

でも
親を傷つける事には変わりないので、
絶対結果を残さないと申し訳ない!!と思い、
有無を言わせず認めてもらえるレベルになって親を喜ばすんだ!!と
心に固く誓ったものです。

そして、家を飛び出したのですが
そんな中途半端な私が社会でひとりで生きていくには
結構風当たりが強くて色んな理不尽を感じました。

やっぱり学歴がないと難しいのかな・・・と愕然としました。

私が20代半ばの頃、
年下のエリートと言われる男性と知り合い、
メールのやりとりをしていた際に
「正直、ちゃんとした文章がかけるんだ、って驚いた」と返信をもらい
やっぱり先入観はぬぐえないんだ・・
自分より馬鹿だと思われているんだ・・と現実を知らされたこともあります。


悔しくて私は人生の戦略を練ることにしました。

そして、私は思いました。
勝ち組と呼ばれる道から外れてしまった私は
彼らより大きなリスクを取って成功して実績を作れば認められる機会を与えられるのかもしれない。
彼らができないことをやってのければいいんだ!
そして
環境が与えられなければ自分で作っていけばいいじゃないか!!と。

それにどんなに大きなリスクだろうと
うわっつらじゃない経験と実力があり成功の確信があればリスクもべつにリスクじゃないです。

逆転の発想として
勝ち組の道から外れてしまっている私は
逆に世間が私を守ってくれないから自己保身とかは無意味、と思い
ハラがくくれるという利点もあります。
また、ある意味プライドを踏みつけられてきた人生の方が
勘違いをしないので本質を知るには有利かもしれません。

そんなスタンスで生きてきて今の私があります。
まだまだ成功者と言うにはほど遠いけど
ソコソコ思い描いた自分にはなれていると思います。
そんな私の20代はかなりハードだった気がします。

今はお母さんも私のことを認めてくれて
仲直りし、しょちゅう電話をしています。

今の一番の友人はお母さんかもしれません。

そんなお母さんに、
女なんだから30代からは少しは自分の人生を楽しみなさい、
女性としての楽しみを味わいなさい、と言われ、

なんだか肩肘張って生きてきた自分に新たな風が吹いた感じです。