黙祷 | 炎のとぅんちゃん

炎のとぅんちゃん

ミニ四レーサーチーム「O.R.F.VICTORIES」公式ブログ
(なんて言うほど大した記事は書いてませんよー)

「皆様、ご起立願います。

 東日本大震災による犠牲者の方々のご冥福と、被災地の一日も早い復興を祈って、一分間の黙祷を行います。

 ……黙祷。

 ……黙祷やめ。」


以上が、黙祷の正しい手順だと思います
「あ、じゃあ黙祷して下さい」で始めるべきものではありません

儀式は、手順通りに進行されて初めて意味を持ちます
「被災地に対する気持ちは変わらないんだからいいじゃないか」と思うかもしれませんが、それを表明するために黙祷という儀式を選んだ以上、正しい手順を踏まなければ、それは被災地に対していい加減な姿勢で臨むのと同じこと

「これだからゆとりは……」なんて意味のない批判を回避するためにも、我々は儀式に対する理解と敬意を持たなければなりません



昨年の今頃、

「地震から一年が経ち、被災地以外の人々は興味をなくしてしまったようだ」

という主旨の投稿文を読んだことがあります
被災地に住む少女が書いたもので、当時急激な加速を見せていた嫌韓ブームに対する当て馬の如く、朝日新聞あたりに掲載された文章でした

朝日新聞発信というのが少々残念ですが、「何年経った」を基準に考えるのはこの場合適切でない、というのは正しいと思います

「もう二年も経った」でも、「まだ二年しか経っていない」でも、今の状況に対しての言葉としては不正解です

震災から経過した時間を論じても、意味はありません


震災に端を発した問題の多くは、時間によって解決されるものではありません
また、多量の資金を投入しただけでどうにかなるようなものでもありません

たくさん時間をかけて、たくさんお金を使って、さらに、問題に関わる人全員が知恵を絞って、ようやく解決に向かうことができるくらいでしょう


「知恵を出さない者を助けるつもりはない」
みたいな発言のために即刻クビになった、松本元復興相

個人的に松本氏は嫌いです
しかし、発言の内容自体はあながち間違ったものではなかったと思います
被災地に根を張って踏ん張る人が、被災地の外から支援する人が、復興に関わる人間全てが知恵を出し合い、最適解を見付けなければなりません

惜しむらくは、知恵を出すことを被災地側のみに求めるような言い方をしてしまったことか


そして、知恵を出すにせよ何にせよ、現状がわからなければ何もできません

そのために大槌へ行ってきます

被災地は何を求めているのか、何をしようとしているのか
自分には何かができるのか、あるいは何もできないのか

自分の目で確かめて、その時出せる一番の答えを見付けて帰ります


今のところ俺にできることは楽器を吹くことくらい
ならば、それを最大限活用するだけのことです

音楽は人にエネルギーを与えます
人が元気になっただけでは何の解決にもなりませんが、その後の動きは確実によくなるはずです


結局、最後に当てになるのは人の力です

どんなに酷い状況でも、そこにいる人が元気ならば
そこにいる人が諦めていなければ

必ずどうにかなるはずです
長い時間はかかるけれど



以前にも書きましたが、震災を経験したことで、生き物として強靭になった人が、被災地には少なからずいるはずです

そういう成長のしかたを、被災地だけでなく全国で共有できれば
全員が強くなって、復興を成し遂げることができれば

その頃には、日本は前より良い国になっているでしょう
我々は前より立派な人間になっているでしょう

安倍自民党の「美しい国」なんてスローガン、鼻で笑えます
政治家任せでも、NPO任せでもなく、全員が主体となって、復興という大きな目標を目指す

燃えるシチュエーションです


とにかく、俺が一人で息巻いていても仕方ありません
全員が頑張る必要があります
この「全員」は、被災地の復興に関係のある人間全員、つまり日本人全員になります


こんなブログで扱うには、話が大きくなりすぎました
そろそろ終わりにします

何かできることがないか、小さいことからでも、自分で探してみて下さい