1月23日、友人と中央区佃にある住吉神社を参拝しました。
東京メトロの月島駅からスタート♪![]()
佃天台地蔵尊
住吉神社に行く前に【佃天台地蔵尊】へ寄りました。
この細い路地に入ります
細い路地に入ると、左側にお堂があります
お堂内には銀杏の木があり屋根を突き抜けてます。![]()
江戸時代中期、上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩を厚く信仰され、自ら地蔵尊を描き江戸府内の寺院にたまわり、地蔵尊造立を促されたと伝えられています。
地蔵比丘といわれた妙運大和尚が八萬四千体石地蔵尊建立を発顔され、崇徳院宮の描かれた地蔵尊を拝写され全国の信者に賜ったそうです。
左手には如意宝珠、右手に錫杖を持たれています。
佃天台地蔵尊は子供たちの守護、長寿延命、家内安全、所願成就の地蔵尊のご利益があるとのこと。![]()
綺麗に管理されているのを見ると、この地域の住民に慕われているのが分かりますね。![]()
浪除稲荷大明神と於咲稲荷大明神
二社が横に並んでいます。
路地を抜けた先の目の前には【浪除稲荷大明神】と【於咲稲荷大明神】があるので、そちらも参拝🙏
浪除稲荷大明神
水難を防止するために祀られたらしいとの記事がありましたが、詳しくは分からず。😅
於咲稲荷大明神
オサキ狐が当時の流行病を退散させたそうで、それらの病を鎮めるために作られたといわれているそうです。
少し離れたところには森稲荷神社も鎮座
佃島
隅田川に掛かる佃大橋、左に聖路加ガーデンタワーが見えます。
佃島渡船場跡
渡船場跡付近から眺める
1582年、明智光秀が本能寺に織田信長を襲った。
信長の盟友、家康の一行は、僅かな手勢で堺にいた。
光秀がほうっておくわけがないと察知した家康は、急ぎ三河への脱出行動を開始した。
道中、船がなく困っていた一行を手助けしたのが、摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁民であった。
その繋がりより1603年、家康が江戸幕府を開いた時、佃村の漁民33名を江戸に呼び、石川島に近い島を居住地として与え、故郷の佃村に因み『佃島』と名付けました。
(天安さんのリーフレットより)
住吉神社へ行く途中の佃小橋
佃堀と🪧立札、その向こうには近代的な高層マンションが建ち並ぶ
名所江戸百景(佃じま住吉の祭)画像はお借りしました
住吉神社
さて、本題の【住吉神社】へ向かいます。
川沿いの⛩️鳥居から入ります
陶製で出来た住吉神社の扁額は明治15年に作られ寄進されたもので、題字は有栖川宮幟仁親王の筆によるものです。
可愛い幼稚園児のグループが先に参拝に来ていました♪![]()
御祭神
住吉三神
底筒之男命(ソコツツオノミコト)
中筒之男命(ナカツツオノミコト)
表筒之男命(ウワツツノオノミコト)
神功皇后
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
徳川家康
東照御親命(アズマテルミオヤノミコト)
龍神社
船魂神社
入船稲荷神社
佃島といえば佃煮
家康が呼び寄せた佃村の漁民たちは、この地で白魚の漁をしながら江戸城内の台所を、まかなうことで漁業権を与えられ、保存食から醤油を使用し醤油煮にかわり、佃島で作られたので佃煮と命名され、江戸市内に売り出したとのことです。
天保8年、1837年創業の「佃煮天安本店」さん。建物からも伝統を感じますね。
外観が『3月のライオン』の和菓子屋「三日月堂」のインスピレーションになったと言われています。
『3月のライオン』、画像はお借りしました。

































