開山堂から寄り道して辯天堂に向かいます。
唐門
慶安4年(1651年)には徳川家康公の孫にあたる徳川家光公が社殿を改築し、それが現在に残る社殿となっています。
五重塔
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次に上野大仏へ寄り道
上野戦争の猛火を奇跡的に免れましたが、関東大震災で頭部が落下。
さらには、保管されていた首から下も昭和15年(1940)、軍への金属供出で失われてしまった。
かろうじて残った顔だけが、いまも祀られています。
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分かりづらいですが清水観音堂へも寄り道
清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台作りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されました。
また、御本尊も清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音像を迎え秘仏としてお祀りされています。
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不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
謎が多い宇賀神さま
天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。
これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。
天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興しました。
弁財天は音楽と芸能の神様♪
画像が無いので此方は竹生島の宇賀弁財天さま、頭に宇賀神様が乗ってます♪
ネットからお借りしました。
そのうち竹生島にも行きたいな〜。
訪ねて頂きありがとうございます♪🙇