前回の続きになります。

羽田空港を後にして次に向かうは移設された旧穴守稲荷の⛩️鳥居になります。ニコニコ



空港から歩くと距離があるため電車を使います




天空橋駅で降りたけど、駅周辺は何も無し…😰




こんな歩道を歩いて




地図を頼りに見えて来たのが大鳥居照れ


曰く付きの鳥居?と恐れられていた大鳥居も羽田空港の沖合拡張に際し、平成11年2月、国と空港関係企業により川沿いの此方の場所に移設されました。



多摩川脇の気持ちのよい場所です♪😉



以下は鳥居に隣接して在る大鳥居についての説明文からの抜粋になります。



戦争で敗戦となり1945年(昭和20年)8月14日ポツダム宣言を受託した日本は、8月15日に無条件降伏した。


8月28日には連合国軍マッカーサー元帥が厚木に到着し、直ちに総司令部(GHQ)が設置される。


そして9月13日には、羽田の東京飛行場の引き渡しを申し入れ 21日には、海老取川以東の住民に対し48時間以内の立ち退きが命じられたのである。


当時、対象となった住民は羽田鈴木町、穴守町、江戸見町の3つの町の約1200世帯、3000人余りといわれる。


(現大田区)当時の蒲田区長より

『緊急命令二依り立ち退きヲナシタルモノナルコトヲ証明ス』


という一片の家屋立ち退き📝証明が発行されただけで、しかもこの命令は警察を通じて口頭で伝達されるという、今ではとても信じられぬような事態が羽田に発生したのである。


羽田にとっての戦争の悲劇は、空襲に加え飛行場を隣にもつ町だからこその、こうした終戦後の大波をもろに受ける羽目になったのです。


紙切れ一枚の証明書と口頭で伝えられた48時間以内の撤収時間しか与えられず、敗戦後まだ1か月も経たない中では、新聞記事を読んでいた住民は極僅かであり、読んでいたとしても具体的な範囲が挙げられていなかった為、自分達が当事者であると考えた人は殆どいなかったようです。


48時間後に戻ろうとする住民に対しては威嚇射撃も行ったとありました。ショボーン


ほとんどの住民は着の身着のまま翻弄され行く宛も無かった人達が多かったのではないかと想像します。




旧穴守稲荷神社の参道①  画像はお借りしました





旧穴守稲荷神社②   画像はお借りしました



敷地にあった神社はというと飛行場拡張の為、社殿はもちろん、石灯籠や数多の狐像なども、空港の『礎』として滑走路の下に埋め立てられてしまい、門前に建った一基の⛩️大鳥居だけが残されたそうです。

この残された⛩️大鳥居が俗に言う曰く付きの大鳥居などと呼ばれていたみたいですね。




空港駐車場にあった旧大鳥居 画像はお借りしました


曰く付きと言われていた理由ですが、

最初はロープで引き倒そうとしたが、ロープが切れ作業員が怪我をした。


続いて工事責任者が病死するなど変事が続いた。

また、この鳥居を移動させるための作業をした日にかぎって、飛行機に機械トラブルが起こるというような事態が続いた。


当時の噂によれば🇺🇸アメリカ軍のパイロットが鳥居から無数の狐が出てくるところを目撃した話も存在しました。


このことから、『穴守さまの祟り』とまで言われていたそうです。


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結局、1952年にGHQから空港が返還されたのちも、この鳥居は1999(平成11)年までの約半世紀にわたり羽田空港旅客ターミナルビル前面の駐車場の一角に建ちつづけました。


何故一基の鳥居だけが残されたのかも不思議ですし、これらの鳥居にまつわる噂話がどこまでが本当なのか私には分かりませんが、

大鳥居が残されていなかったら歴史的な背景も知らなかったし、これらの問題も忘れ去られていたのかも知れません…。

往時を物語る唯一の建造物、大鳥居が残されたのは或る意味良かったのかなぁと思いました。にっこり




多摩川







【平和】の扁額に生まれ変わった大鳥居はこれからもこの羽田の空と住民を見守ってくれる存在になるのではないでしょうか⁇ウインク






訪ねて頂きありがとうございました♪🙇