☀️暑い日が続いて🍂秋の気配どころか
夏がまだまだ終わりませんね😅💦
昨日は歴史好きの古くからの友人と東京は文京区小石川にある
★於大の方(徳川家康公の母君)の菩提寺である傳通院
湯島にある
★春日局の菩提寺の麟祥院
を訪ねました。
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傳通院に行く途中に『こんにゃく閻魔さま』を祀ってある【源覚寺】を訪れました。
宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った👵老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ
「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」
と言われたそうです。
↑蒟蒻のお供え物が沢山ありました
満願の日に、老婆の👀目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
👵老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを🎁供えつづけたということです。
このことから、源覚寺の閻魔さまは「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集めています。
↑HPよりお借りしました
※📚夏目漱石の「こころ」、樋口一葉の「にごりえ」にも「こんにゃく閻魔」は登場しております♪
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次に小石川【善光寺(月参堂縁受院善光寺)】を訪ねました。
こちらは徳川家康の生母・於大の方(おだいのかた)の※念持仏を安置しております。
※念持仏とは、日頃より親しくお参りが出来るようご安置をする御像を言い、於大の方は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊像を念持仏として、肌身離さず家康公とご自身の現世・後世安楽を願い拝んでいました。
念持仏が、信州・善光寺の本尊と同様、舟形光背の弥陀三尊像だったことから、信州の善光寺の分院となりました。
↑小石川善光寺のHPより
小石川善光寺の山門を出て右手に数分🚶あるくと
天然記念仏のムクノキがありました♪
↑樹齢約400年だそうです。
木の幹には倒木対策のワイヤーでしょうか?痛そうです
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少し歩くと傳通院に到着です。
応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。
無量山寿経寺という名で開創されました。
慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。
その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりまた。
↑本堂です。境内は想像していたより広いです
入ってきた山門です
徳川家の所縁のある墓所が沢山ありました。
↑千姫の墓所もありました
私は基本、名の知れた著名人のお墓でも手を合わせる事はありません
といいますか、私と関係のない墓地エリアに入るのも躊躇するのです…💦
この日は長年の友人のお誘いでの参拝でしたので、気を張って墓地に足を踏み入れました。
友人は於大の方や千姫のお墓に手を合わせていましたが、私はその姿を遠目で見守りました。😅
そんな訳で墓所の画像は1枚も撮りませんでした。🙇🙇🙇
於大の方は家康と離れ離れになっても念持仏を通じていつまでも家康を想っていた。
優しい母親だった様に感じました。
子を想う母親の愛はいつの世も変わらない気がしますね。
その後、友人と千姫や淀君についての考察談義をしながら
次の麟祥院に向かいました。
訪ねて頂きありがとうございました🙇