鹿児島県入来(いりき)町日之丸に大宮神社があります。照れ

ひのまるって地名が凄いですねびっくり





御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)







この大宮神社の例祭においては、入来独持の「入来神楽」を奏し、神舞を奉納しています。


入来神舞の一つに「十二人剣舞」があります。

舞人が左手に太刀を持って登場し,👹鬼神の前に出て,


『君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで』


と声高らかに朗詠します。

これが国歌の始まりになったといわれています。







↑境内には可愛いさざれ石がありました爆笑


大宮神社の例祭に奉納される入来神舞の起源は相当古く神話伝承の「隼人舞」まで遡るといわれており、


特に神舞三十六番中の二十二番

『十二人剣舞つるぎまい』

は奈良時代の前後にかけて隼人が宮城の十二門を警護したことを象徴する舞とされ、これに後世、雅楽や出雲神楽等の神事芸能の要素が加わり現在の神舞になったと推測されています。



↑画像はお借りしました



 君が代の歌詞は古今和歌集に詠み人知らずとして収められた和歌が元になっているが、

これが十二人剣舞の中で朗詠され続け、

戦国時代に入来院重聡と姻戚関係にあった島津中興の祖、島津忠良に伝わり、

薩摩琵琶の楽曲「蓬莱山」の歌詞として用いられ、これが連綿薩摩藩で受け継がれ、薩摩藩士で後に明治時代の元勲となる大山巌によって君が代の歌詞として採用されたといわれています。(鹿児島県神社庁より)




ここで隼人(はやと)について

隼人とは、古代日本において、阿多・大隈(現在の鹿児島県本土部分)に居住したとされる人々です。

日本神話では、海幸彦が隼人の阿多君の祖神とされ、海幸彦が山幸彦に仕返しされて苦しむ姿を真似たのが『隼人舞』であると云われております。

隼人は大和朝廷に服属していたと思われます。


隼人と似た部族で熊襲(くまそ)がいます。

熊襲は大和朝廷に抗っていた部族で、景行天皇,日本武尊などによる熊襲征討が行われ、後に姿を消します。

代わりに隼人が現れていることから、隼人の前身だとする説もあります。ウインク


拝殿でお参りしていると、本殿の扉にも注連縄が張ってあるのですが、


私から見て右の紙垂だけが、風も無いのにゆっくりユラユラと動き出し、そのうち大きく揺れ出しました。びっくりびっくりびっくり



こういう現象は神様の✨歓迎のサインといわれているので、とても感激致しました。ラブラブ






何度も大宮神社の神様に御礼をしてその場を後にしました。ニコニコ


一応、まだまだ熊本、鹿児島の神社に沢山行かせて頂いたのですが、夏休み旅行記はここまでとさせて頂きます。

また別の機会に取り上げようかなと思います。


訪ねて頂きありがとうございました🙇‍♂️