東日本大震災石巻市追悼式に参列しました。
震災で亡くなられた方々へ、心より哀悼の意を表します。
また、被災者の皆様には、心の奥底にこびりついている震災のしこりを、
どうしても取り除けない、その気持ちに寄り添わせていただきたいと思います。
 
私は、あの日、あの時、思い出すのは、揺れの具合と、
とっさに「狭い4本の柱に囲われているところが一番潰れない」と聞いたことを思い出し、
玄関を開けたままにし、転ばないように揺れのリズムにあえて体を委ねながら、
生後六ヶ月の娘を必死におんぶ紐に通しながら、
玄関から横目で見たのは奥のキッチンの食器棚が様々な音と一緒に倒れる様子。
同時に茶の間の大きなラックが部屋いっぱいに横倒れになったと思ったら、
天井から目の前が真っ白になるほどの砂埃が落ち、
電気の傘が振り子になって天井にガシャンガシャンとぶつかり、
電球が割れ散らばり、あっという間に見るも無惨な光景。
揺れてからものの2分程でメチャクチャになった。

すぐさまとんでもない大きさの「あのサイレン」がなり、
大津波が来ます、高台に避難してください、と。
揺れは収まらず、「木の柱ってこんなに曲がるのか」と妙に関心したのを覚えている。
柱が45度くらいに根元から曲がる、長方形の部屋が45度の平行四辺形を、左に右に形作る。
家に潰されると思った、けども、赤ちゃんがいた。
靴を履いてガシャガシャと倒れたものを避けて、
奥の部屋の避難バッグを掴んだのはいいが重すぎて持てなかった、
2Lの水が5本も入っていた。少し迷ったけれど、3本をぶん投げて、軽くして車に乗った。
もう一度水を取りに部屋には入れないと判断して諦めた。

ここがもっとも鮮明に覚えている震災の記憶。
蛇田保育所に上の娘を迎えに行かなければいけない。
おんぶして運転した車、渋滞になり、
丸山商事のところの橋がトランポリンのように上下に揺れた。
橋が折れたら死ぬと思った、
ハンドルを両手で握りしめながら「早く、早く、早く」と言っていた。
背中の赤ちゃんが妙に静かで、なぜか死んだのではないかと思ってバックミラーで確認したりした。
青葉東のところで後ろに迫る津波、「やばい」と思った瞬間に車のタイヤが水で埋まった。
膝まで水に浸かりながら歩いていたあの老夫婦が大丈夫だったのかは、わからない。

結果、家も家財も服も写真も何もかも無くなった。
掴んだ避難バッグには水2本、オムツが3枚、ミルクが5回分、育児教室でもらった新しい哺乳瓶、
意味不明なスポーツタオルが3枚も入っていた。そして乗っていた車だけが、全財産となった。

家族が全員無事だった、だから被災者だけれども、被災者ではない気がして、あまりこれは外では言えなかった。
状況がどうだったのか、言えなかった。
「家族が無事でよかったね」その通り、その通りだ、だから、目の前にいる人が、
もっと大変な状況だったかもしれないと思うと、自分の話は言えない。
聞くに徹する、話すと一気にドバーッと止まらなくなりそうで怖い。
多くの被災者がそうであろうと思う、相手を気遣い、「自分はまだマシだ」と思うことで
「だから大丈夫」と思うようにする。辛がってはいけないのだ。これがサバイバーズギルドであると、最近知った。
多くの被災者が、きっとサバイバーズギルドなるものを抱えながら、少しづつ時間に任せて消化しているのかもしれない。
残された私たちは前を向き進んでいかなければいけないと思う一方、
風化させてはならないと、また思い出す作業や伝えるという正反対のことをしなければいけない矛盾に、
頭の中が少し混乱する。

3.11は、私にとってそういう日である。








明日は、宮城県の公立高校受験日です。

雪の予報につき、開始時刻が1時間ずれ込むことになりましたので、受験生と保護者のみなさまは学校やWEB出願で登録したメールをご確認ください。

受験生は、雪にも軽微な変更にも浮き足立つことなく落ちつき、慌てずに、ベストを尽くしてください!

 

風の強い朝ですが、消防団河南地区団春の防火パレードにて、各分団の消防車両が出発いたしました。団員のみなさまには日頃よりの防火防災の啓発活動、火災現場での消化活動に心より感謝御礼申し上げます。

全国的に山林火災も頻発しております、また、近年ではリチウムイオン電池の発火や、モバイルバッテリーの発火などを起因とする火災もございます。充電器の挿しっぱなしなどにも充分ご注意くださいませ。

本日のような定期的な啓発活動を機に、生活の中で「我が家は大丈夫かな?」と見直していただけましたら幸いです。