軽く読みモノみたくなってます(笑)



以前にも書いたかもしれないけど、
小・中・高と、
ほんとうに自己否定が大きかった。
アトピーなどによる親子関係の不和や
学校で一部の人には近寄ることがNGだったり
怒られたら・見捨てられたらどうしよう
という思いが強かったので、
自分のきもちは出せず、
自分からは話しかけられず、
なので人とはほとんど心繋がれず
道行く誰かが笑うと、
「ぼくのことかもしれない。」
と思うのが常だった。
そんなぼくにも、
友人がいなかったわけではなかった。
通っていた公文式で仲良くなり、
中学校も一緒だった。
ゲームの趣味が一緒だったり、
あまり多くの人と仲良くするタイプではなかったのも共通していた。
なにより、よく声を掛けてくれたことが嬉しかった。
彼は自分の好きなものを布教するのが好きで、
ゲーム以外にもアニメなども勧めてきた。
他に友だちもほぼいなかったし、
アニメなんて恥ずかしくなーい?
とか思いながらも、(思春期特有の感じで)
話題についていきたい一心から見たりして
結果、面白くて自分から見出すものもあった。
その中にうたわれるものって作品があって、
教えてもらったのか忘れたけど、
キャラクターを演じる俳優さんや声優さんが
出演するラジオを聴く機会があった。
大人たちが心の底から笑ったり
素敵な話をしたり、
イジリがあっても仲良かったりして
どんなゲストが来ても尊重しあってて
(芸能人だってそれはやるけど、
TVは現実から離れた遠い所のように
感じていた。)
でも声優さん俳優さんは
アニメとか舞台がメインだから、
なんなら裏の顔を垣間見てると
感じていたのかもしれない。
ともかく大人たちが子どものように
「素」ではしゃいでいながらも、
大人らしい礼節もしっかりあって
しかも面白くて、その空間が心地よくて。
こんな世界が大人になってもあるんだ、
あって許されるんだと、
それが当時のぼくには衝撃で、
魅力的で、心にいっきに光と希望を感じた。
逃避できる場所でもあったけど、
それを聞くのが一日の楽しみで
笑った顔になれる数少ない機会だった。
その中でも中心人物だったのが
小山力也さんで、
舞台も声優もナレーターも実況も
こなして、おちゃめさも礼儀も、
あと懐の深さとか知性とか、
なんか諸々含めて憧れを抱いた。
高校を卒業して
大学では演劇部に入った。
少しでもあの世界に近づきたくて。
相変わらず人の目はまだ怖かったけど、
大学は高校より開放感があるじゃないですか?
“1人でいることを嫌悪しながら
無理して平気な振りを続ける自分”は
少し和らいでいた。
憧れパワーで演劇の世界に体当たりして(笑)
部活はやがて自分のたいせつな居場所にもなった。
部活は3年経てば卒業。
だけどそれでは飽き足らず、
お金を貯めて養成所へ通うことに。
資金的にも手が届く養成所に
入ってから、半年以上が過ぎたとき、
特別外部講師として
(しかもその年に初めて!)
来てくれることになったのが
あの小山力也さんだった。
気づいた時点で
講義の申込用紙に書かれていた名前の数は
定員を優に超えていたけれど
それでも、名前を書いた。
15人のキャンセル待ちで、
16番目にぼくの名前を。
当日、ドキドキしながら来て
(まじで高鳴ってた)
入り口の申込用紙を見ると、
16人、キャンセル
滑り込み最後の一人だった
50人ほどすでに集まった部屋に入り
開始時間が来て、拍手とともに入ってきた
そこにいるのが
本物の小山力也さんだった
目に焼きつけようと見てるけど
なんだか直視できてないような、
ふわふわしていた感じだったと思う。
他の生徒が前に出て
教わった通りに台本を読むなか、
力也さんが歩いて来て
前に出てる子の様子を見守りながら、
ふわーっとぼくの横まできて
立ち止まった
距離30センチ、も、なくて
え、あれ?
心がドッキドキしっぱなしだった。
正直、力也さんのほうを向けなかった。
畏れ多くて(笑)
しばらくして戻っていったけど、
その後、「じゃあ、ね、このセリフを・・・
キミ。言ってごらん?」と指名されたりもした。
光栄で仕方がない時間だった。
講義のあと、スタッフさんたちが
力也さんを見送る姿も見に行った。
本当にあの時、名前を書いてよかった。



人生何が起こるかわからないもんだ
って言葉は、本当なんだなって、思い返しました^^;
そして、あの日の帰り、ふと思いました。
あなたのおかげで生きてますって言いたかったんだな、って。
思っても、
実際畏れ多くて言えなかったかもしれないけれど笑
~~~
お読みくださり、
誠にありがとうございました!
少しでも楽しんでもらえたらなって思って書きましたー



これは近所のカレー屋さんのチーズナンセット




以前にも書いたかもしれないけど、
小・中・高と、
ほんとうに自己否定が大きかった。
アトピーなどによる親子関係の不和や
学校で一部の人には近寄ることがNGだったり
怒られたら・見捨てられたらどうしよう
という思いが強かったので、
自分のきもちは出せず、
自分からは話しかけられず、
なので人とはほとんど心繋がれず
道行く誰かが笑うと、
「ぼくのことかもしれない。」
と思うのが常だった。
そんなぼくにも、
友人がいなかったわけではなかった。
通っていた公文式で仲良くなり、
中学校も一緒だった。
ゲームの趣味が一緒だったり、
あまり多くの人と仲良くするタイプではなかったのも共通していた。
なにより、よく声を掛けてくれたことが嬉しかった。
彼は自分の好きなものを布教するのが好きで、
ゲーム以外にもアニメなども勧めてきた。
他に友だちもほぼいなかったし、
アニメなんて恥ずかしくなーい?
とか思いながらも、(思春期特有の感じで)
話題についていきたい一心から見たりして
結果、面白くて自分から見出すものもあった。
その中にうたわれるものって作品があって、
教えてもらったのか忘れたけど、
キャラクターを演じる俳優さんや声優さんが
出演するラジオを聴く機会があった。
大人たちが心の底から笑ったり
素敵な話をしたり、
イジリがあっても仲良かったりして
どんなゲストが来ても尊重しあってて
(芸能人だってそれはやるけど、
TVは現実から離れた遠い所のように
感じていた。)
でも声優さん俳優さんは
アニメとか舞台がメインだから、
なんなら裏の顔を垣間見てると
感じていたのかもしれない。
ともかく大人たちが子どものように
「素」ではしゃいでいながらも、
大人らしい礼節もしっかりあって
しかも面白くて、その空間が心地よくて。
こんな世界が大人になってもあるんだ、
あって許されるんだと、
それが当時のぼくには衝撃で、
魅力的で、心にいっきに光と希望を感じた。
逃避できる場所でもあったけど、
それを聞くのが一日の楽しみで
笑った顔になれる数少ない機会だった。
その中でも中心人物だったのが
小山力也さんで、
舞台も声優もナレーターも実況も
こなして、おちゃめさも礼儀も、
あと懐の深さとか知性とか、
なんか諸々含めて憧れを抱いた。
高校を卒業して
大学では演劇部に入った。
少しでもあの世界に近づきたくて。
相変わらず人の目はまだ怖かったけど、
大学は高校より開放感があるじゃないですか?
“1人でいることを嫌悪しながら
無理して平気な振りを続ける自分”は
少し和らいでいた。
憧れパワーで演劇の世界に体当たりして(笑)
部活はやがて自分のたいせつな居場所にもなった。
部活は3年経てば卒業。
だけどそれでは飽き足らず、
お金を貯めて養成所へ通うことに。
資金的にも手が届く養成所に
入ってから、半年以上が過ぎたとき、
特別外部講師として
(しかもその年に初めて!)
来てくれることになったのが
あの小山力也さんだった。
気づいた時点で
講義の申込用紙に書かれていた名前の数は
定員を優に超えていたけれど
それでも、名前を書いた。
15人のキャンセル待ちで、
16番目にぼくの名前を。
当日、ドキドキしながら来て
(まじで高鳴ってた)
入り口の申込用紙を見ると、
16人、キャンセル
滑り込み最後の一人だった
50人ほどすでに集まった部屋に入り
開始時間が来て、拍手とともに入ってきた
そこにいるのが
本物の小山力也さんだった
目に焼きつけようと見てるけど
なんだか直視できてないような、
ふわふわしていた感じだったと思う。
他の生徒が前に出て
教わった通りに台本を読むなか、
力也さんが歩いて来て
前に出てる子の様子を見守りながら、
ふわーっとぼくの横まできて
立ち止まった
距離30センチ、も、なくて
え、あれ?
心がドッキドキしっぱなしだった。
正直、力也さんのほうを向けなかった。
畏れ多くて(笑)
しばらくして戻っていったけど、
その後、「じゃあ、ね、このセリフを・・・
キミ。言ってごらん?」と指名されたりもした。
光栄で仕方がない時間だった。
講義のあと、スタッフさんたちが
力也さんを見送る姿も見に行った。
本当にあの時、名前を書いてよかった。



人生何が起こるかわからないもんだ
って言葉は、本当なんだなって、思い返しました^^;
そして、あの日の帰り、ふと思いました。
あなたのおかげで生きてますって言いたかったんだな、って。
思っても、
実際畏れ多くて言えなかったかもしれないけれど笑
~~~
お読みくださり、
誠にありがとうございました!

少しでも楽しんでもらえたらなって思って書きましたー




これは近所のカレー屋さんのチーズナンセット

