小さい頃、アトピーがほんとうにひどかった。
それこそ、風が吹いたら傷口にしみて蹲って
動けなくなってしまうぐらいに。
色んな病院に行った記憶がある。
レーザー、針、リンパ、ステロイド、紫雲膏。
四国の大きな病院に行ったこともあった。
有名な病院だったのだと思う。

全身に薬を塗って、包帯を巻くもんだから、
ミイラみたいになったっけなぁ、
父は人生にたまに登場する。
そういうものだと小さい頃は思っていた。
実際には母手一人だから、
アレルギーのことで食事に気をつけ、洗剤に気をつけ、
病院のこと、子育て全般のこと。親戚の不和。
諸々背負っていたわけだ。
一向に治らない息子の病気のこともある。
それでこっちも子どもだから、
子ども相当のわがままを言うじゃない?
我慢の限界だったのだろう、
瞳孔が開いてしばらく動けなくなるくらいには怒られた(笑)
そりゃもう数え切れないぐらい。
(手は出なかったけどね、すごいね。)
繰り返されるうちに、
自分の意見なんて言っても仕方がない、と
気持ちを押し込め、心が鬱屈していった。
皮膚は掻いたら、3cm積もるくらいにはなった。
学校では気持ち悪がる女子グループもいた。
周りが話で盛り上がっていると
自分が笑われているように思えた。
だから教室では常に気を張っていた。
かなりの「自己否定」だったと思う。
“居場所のなさ”は常に感じていたもの。
だからこそ、誰かの役に立たなければ
自分の存在を認められなかったし、
誰かと比べては自分を見下げた。
「自分なんかいなくてもいい」
という、ふとした自分の心の声で
枕を濡らしたこともしょっちゅうあった。
だいぶ、前のことだ。
今は比べものにならないほど良くなった。
懐かしいな、と思うぐらいに
全然、生きやすくなりました^^
まさか、ぼくが
色んな人と笑って話せるようになっているだなんて
中学・高校の頃のきみが知ったら、
びっくりするだろう?!笑
と、色々思い出したのだけれど、
ぼくは以前起きたことの、
色々な人たちの、すべてを
心の底から許せているだろうか。
でも一つ言えるのは、
これらの出来事がなければ、
確実に、今の自分はいない、ということ。
だから、ものすごく、感謝しています

ありがとうございました^^
それこそ、風が吹いたら傷口にしみて蹲って
動けなくなってしまうぐらいに。
色んな病院に行った記憶がある。
レーザー、針、リンパ、ステロイド、紫雲膏。
四国の大きな病院に行ったこともあった。
有名な病院だったのだと思う。

全身に薬を塗って、包帯を巻くもんだから、
ミイラみたいになったっけなぁ、
父は人生にたまに登場する。
そういうものだと小さい頃は思っていた。
実際には母手一人だから、
アレルギーのことで食事に気をつけ、洗剤に気をつけ、
病院のこと、子育て全般のこと。親戚の不和。
諸々背負っていたわけだ。
一向に治らない息子の病気のこともある。
それでこっちも子どもだから、
子ども相当のわがままを言うじゃない?
我慢の限界だったのだろう、
瞳孔が開いてしばらく動けなくなるくらいには怒られた(笑)
そりゃもう数え切れないぐらい。
(手は出なかったけどね、すごいね。)
繰り返されるうちに、
自分の意見なんて言っても仕方がない、と
気持ちを押し込め、心が鬱屈していった。
皮膚は掻いたら、3cm積もるくらいにはなった。
学校では気持ち悪がる女子グループもいた。
周りが話で盛り上がっていると
自分が笑われているように思えた。
だから教室では常に気を張っていた。
かなりの「自己否定」だったと思う。
“居場所のなさ”は常に感じていたもの。
だからこそ、誰かの役に立たなければ
自分の存在を認められなかったし、
誰かと比べては自分を見下げた。
「自分なんかいなくてもいい」
という、ふとした自分の心の声で
枕を濡らしたこともしょっちゅうあった。
だいぶ、前のことだ。
今は比べものにならないほど良くなった。
懐かしいな、と思うぐらいに
全然、生きやすくなりました^^

まさか、ぼくが
色んな人と笑って話せるようになっているだなんて
中学・高校の頃のきみが知ったら、
びっくりするだろう?!笑

と、色々思い出したのだけれど、
ぼくは以前起きたことの、
色々な人たちの、すべてを
心の底から許せているだろうか。
でも一つ言えるのは、
これらの出来事がなければ、
確実に、今の自分はいない、ということ。
だから、ものすごく、感謝しています


ありがとうございました^^