わざわざ諦めようとしなくても、
好きなら好きでいいじゃない?
ただ好きでいる分には、
誰に迷惑かけるわけでもないんだし、
難しく考えるから疲れるんですよ。
忘れようとか、あきらめなきゃとか、
そんな風に考えてるうちは、
何をどうしたところで無理なんだから。
どうこうしようと思わなければいいの。
片思いでも二股でも復縁でも不倫でも、どれでも同じ。
自分の思い通りにいかないことに苦しんだり嘆いたりして、
辛いからあきらめようと思ったところで、
諦められない、諦めることが出来そうもないんでしょ?
当たり前ですよ。
自分の潜在意識の中に根づいてしまってる願望は、
そんな簡単に消えちゃくれませんから。
だから、
あきらめようとか、忘れようとか考えても無駄なの。
考え方の転換をしてみたらいいよ。
好きなら好きでいい。
忘れなくてもいい。
なるようになるさ。
私が最終的に幸せになることだけは確かなんだしー。
幸せになるように頑張ろ。
ってな感じの考え方をして、
いま辛いことよりも、
明日起こるかも知れない良いことに思考をフォーカスしたらいい。
見ようとしてないだけで、
良いことはあなたの身近にたくさん転がっているんだよ。
たとえばさ、
夏が終わって秋がきて、朝晩の風が少しひんやりした頃、
その秋風にのって、優しくふんわりと金木犀の良い香りがしたり、
栗の美味しいお菓子を食べることが出来たり、
紅葉が綺麗だったり、
秋冬はオシャレを楽しむのに最適で、素敵な洋服や靴がたくさん出てきて楽しいし、
他にも、小さな楽しいことや幸せなことはたくさん転がってる。
自分の願望ばかりにとらわれていて、
それを探せない精神状態というのは、
いわゆる執着や依存状態なわけで、
それじゃ何も上手くはいかない。
引寄せの法則をしようが、
神社に通おうが、
占いしようが、
呪術や復縁屋や別れさせ屋なんかにすがろうが、
上記のような、自分の願望の対象に対しての執着固執や依存状態な人は、
何をやっても上手くはいかない。
神様ってさ、小さな幸せを見つけられて、それを素直に喜べる人が大好きなんだって。
その人の本当の素直な笑顔の分だけ、神様はまた幸せをくれるんだって。
神様じゃなくてもさ、
誰だってそうでしょ?
幸せそうに嬉しそうに、キラキラな目で笑ってる人と一緒にいたいよね?
もっとその笑顔見たいって思うし、その笑顔を守りたいって思うでしょ?
腐った魚みたいな目をして、その濁った腐った目からいくら涙を流しても、
その腐った魚を欲しいとは思わないでしょ?
その魚は捨てるしかないじゃん。
食べれないし、食べたら食中毒になるしね。
だからさ、
小さな良いことを探せるようになろうよ。
少しずつでいいから、捕らわれてるものから目を外に向けてみようよ。
そうそう、
ポリアンナ物語っていう児童文学だか童話だかを知ってますか?
主人公のポリアンナは、
「良かった探し」なるものをするんだけど、
そんな感じでやってみたらいい。
度を過ぎるのはいけませんよ。
本質を見極められなくなるリスクがありますから。
思考の転換、捉え方の転換をするだけで、
苦しさや虚しさは随分軽くなり、前向きになれるはずです。
前向きになれて、素直な笑顔を取り戻せたら、
きっといいことありますから。
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