遠州入門ー湖西市 家康に貰った弓 | 爺さんの徒然日記

遠州入門ー湖西市 家康に貰った弓

◆もしも徳川家康から

「弓か矢のどちらが欲しい」

と聞かれたらどうこたえるであろうか

 

今から450年以上前のこと 

三河の岡崎城主であった家康が遠江に侵出してきた 

今の湖西市古見(こみ)に住んでいた土屋新右衛門は家康に

「その方にほうびとして弓か矢をとらせる いずれか」

と聞かれたと伝えられている 

 

 

家康軍はまず境目城を落とし 宇津山城に迫った

戦いに際し三河から食糧や資材などを持って来たものの

長引くにつれて足りなくなってきた

そこで新右衛門に人夫の工面や食料の調達など

様々なことを依頼してきた

「厭離穢土 欣求浄土 戦いの夜を平らげ 

皆が幸せに暮らすためだ ぜひとも力を貸してくれ」

という言葉を意気に感じた新右衛門は

家康軍のために全てを捧げる決意をした

夜を日に継いで尽くしたせいか 家康軍は快進撃を続けた 

浜名湖西岸を手中に収めると東岸へ軍を進め 

ついに浜松城に乗り込んだ

 

 

「突然の事であったが 殿の御役に立てて何よりだ

後は 戦いの無い平和な世の中ができるのを願うばかりだ」 

湖岸に立った新右衛門は遠くの浜松城の方を眺めながらつぶやいた 

戦いが終わったある日のこと 

家康の家臣が新右衛門の家を訪ねて来た 何でも

「殿様が是非お会いしたいというので来城を」

ということであった 

 

 

新右衛門はお城に入ったことはおろか近くで見たこともなく 

ましてやお殿様とお会いする機会などあろうはずはなかった 

どきどきしながら登城すると 

家康が湖西での新右衛門の尽力にお礼を言った後 掛けたのが

「ほうびとして弓か矢のどちらを選ぶ」

かという言葉であった

どちらを選べばいいのか戸惑いながら

「弓をいただきます」

と答えると家康は

「しからば弓をとらせよう」

とうなずき 後日 弓張状の形をした畑を数百坪与えたのである

 

この時 新右衛門が

「矢をいただきます」

と答えたらどうなっていたのであろうか

家康は矢を放って届いた先までの畑を

与えようと考えていたと伝えられている

 

(^。^)y-.。o○

 

byeーbye  !(^^)!