遠州入門ー袋井市・浜松市 正岡子規 | 爺さんの徒然日記

遠州入門ー袋井市・浜松市 正岡子規

◆正岡子規(1867年~1902年)は

明治時代に俳句や短歌の革新を唱え

近代文学に大きな影響を与えた 

 

 

子規は今の愛媛県松山市の武士の家に生まれ

幼い頃から素読や筆写 漢詩に親しみ

小学生の時には友達と回覧雑誌を作ったりしていた 

 

社会人になってからは新聞記者として

働きながら俳句の改新に尽力した 

俳句を作る時 画家が写生をするように

自然の姿をありのままに描写することで

自分の気持ちを表現しようと説いた 

 

 

子規は若くして病に侵され 病床での生活が長く続いたが 

生涯で2万4千句以上の俳句を詠んだといわれている

 

 

子規が遠州地方で呼んだ俳句の碑が3ヵ所に立てられている 

最初に詠んだのは袋井市で

「冬枯れの 中に家居や 村一つ」 

袋井市が建てた句碑の説明板によると 

子規がこの句を詠んだのは1889年(明治22年)

12月25日午後6時頃のようである 

開通したばかりの東海道線の汽車に乗り故郷の松山に帰る途中 

袋井駅に停車した客車の窓ガラスに映った村の灯を詠んだものである

 

 

次の二句は1895年(明治28年)10月に浜松で読まれた

「馬通る 三方が原や 時鳥」

子規が上京する途中に浜松に立ち寄った時に詠んだと言われている 

当時の三方原は未開の荒れ地が広がり 

野原を時鳥が飛び鳴き声が聞こえたそうである 

句碑は1931年(昭和6年)

に天林寺(浜松市中央区下池川町)に建てられた 

 

 

また 上京の途中客車の車窓から浜名湖を眺めて詠んだ句が

「天の川 浜名の橋の 十文字」

と言われている 

空を見上げると美しい天の川が見え 

浜名湖に架かる橋と十文字をなしているように見えた

光景が目に浮かぶ様で

弁天神社境内(浜松市中央区舞阪町弁天島)に

1925年(大正14年)に建てられた句碑がある

 

三つの句はいずれも子規の門人やゆかりのある人々が建てたもので 

刻まれている文字は子規の遺墨を拡大して彫ったそうである

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (*'▽')