浜松入門ー木下藤吉郎=豊臣秀吉 | 爺さんの徒然日記

浜松入門ー木下藤吉郎=豊臣秀吉

木下藤吉郎は1537年(天文6年) 今の愛知県西部・尾張の農家に生まれた

この木下藤吉郎が後に豊臣秀吉になるのである

その豊臣秀吉が「猿」と呼ばれるきっかけになった出来事が浜松にある 叫び 

 

少年の頃 武士になることを夢見た藤吉郎は

奉公させてくれる殿様を求め旅に出て遠州の地を踏んだ

その折 頭陀寺(浜松市南区頭陀寺)の城主 松下之綱の評判が

非常にいいことを聞いて

自分が仕えるのはこの人だと思い

家来にしてもらうためにあれこれ考えを巡らせた むっ

 

「直接屋敷に行っても門前払いされるに決まってる

浜松に来たのだから殿様に会わないことには諦めきれない

何とかお会いできる方法はないものか

殿様が屋敷から出る時に一言でもいいから声を掛けよう」と決めた にひひ

 

そこで藤吉郎は之綱が仕える引馬城(浜松市中区元城町)へ

出仕するところを待ち構え

「お 御願いがあります私を家来にして下さい」と

之綱一行の前に叫びながら駆け寄ったのである チョキ

 

初めて藤吉郎を見た之綱はその面相と飛び出した行動に

「猿と思えば人 人と思えば猿」と大層驚いたが

藤吉郎の話を聞き入れ 無事奉公が叶った

その当時 藤吉郎は14,5歳だったので17,8歳まで

1551年から都合3年ぐらい頭陀寺城に奉公したのである グッド!

 

その間 藤吉郎はどんな仕事も命ぜられても嫌な顔一つせずきちんとやりこなし 

いつのまにか頭陀寺城になくてはならない存在となり 

殿さまからの信頼も厚く 松下家の会計を担当するお納戸役まで出世したという 合格

 秀吉 家康 直政

 

こうして武士としての1歩を浜松で歩みだした藤吉郎は

「私の元で学ぶことはもうない 当地におさまるような器ではないから

より広い世界で思う存分力を発揮しなさい」と殿様に促され 

藤吉郎は新たな飛躍を誓って浜松を後にしたという ニコニコ

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (>_<)