幻の“駿府藩印”発見 | 爺さんの徒然日記

幻の“駿府藩印”発見

藩の名称変更により 1868年(明治元年)から約1年間だけ

存在した 「駿河藩」 の藩印が 東京都渋谷区の徳川記念美術館

で発見された 今まで 押印文書などは残っているが 印 実物が

見つかったのは初めてで 去年 静岡市美術館(静岡市葵区)

で開催される展覧会 「家康と慶喜ー徳川家と静岡」で一般公開された 叫び


じじいのつぶやき






駿河藩は 明治元年5月 戊辰戦争により朝敵となった 第15代将軍 

徳川慶喜に代わって 徳川家の相続者となった 田安亀之助(徳川家達)に 駿河・遠江・陸奥など藩として与えられた 70万石のの藩で あるが

同年9月には 陸奥は三河に変更され 翌年6月 府中(駿河)は 

朝廷や天皇に対し 「不忠」 に通じるとして 静岡と改名され 藩名も

併せて静岡藩と改名された そして 直後の6月17日 廃藩置県により

静岡藩は静岡県と改名 家達は 初代静岡県知事に任命された クラッカー


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発見された藩印は 青銅製で 印面は6.8㌢四方 高さは5.7㌢

「駿河藩」と篆刻されていて 藩士が旅行などに持参する際に

持参する 通行証などの証明書に押されていた ニコニコ


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印を押された通行証の類は残されていたが 今まで実の行方は

分からないままになっていたが 徳川記念美術館の学芸員が

今年11月 収蔵庫から発見 使用された跡が残っており

「藩印」と墨書きされた桐箱に入っていたといい 使用期間が

約1年と ここまで短い藩印は 全国的にも珍しく 激動に揺れた

駿府藩 静岡藩 静岡県の様子が垣間見られる チョキ


確かに駿府藩は 徳川幕府の初期に存在し その後徳川ゆかりの

大名の支配と幕府直轄の天領を繰り返し 幕末・明治を迎えた

数少ない土地の一つである 天領は時代劇によく出る ご城代か

代官が治め どういう訳か 博打打というかヤクがはびこる 

ここ静岡には 言わずと知れた 清水の次郎長 森の石松 等々

静岡以外でも 国定忠治とか 庶民派の反権力の 侠客も結構いた  

本来 「仁侠」 とは弱いものを助け 強きをくじく 義のためには

命を惜しまない気風や 男だてのことをいい 庶民や弱者のため

命がけで 強者・権力に立ち向かっていく人 少し前 民主党には

こうした 仁侠道を期待したもんであったが 今となっては 権力を

持っているだけ そこらのヤクザより始末が悪い あ~あ しょぼん


┐( ̄ヘ ̄)┌


bye-bye (^_^)v