人の心は見えるものではありません。
だからこそ猜疑心が生まれます。
ですがすべての人が疑わしきなのか
それはあなた自身がお会いして感じるもの
信じる心と言うのは美しいもの
信じて頂けると言うのは感謝すべきこと
無心で相手に対して出会えれば
話す言葉、しぐさ、言葉の用い方
などよくよく見れば感じるものです
猜疑心も同じところから生まれます。
信じてよい人か
信じられぬ人と言うのは
人は無意識のうちに
生きてきた経験の中で
生きてきた学びの中で得るのです。
数々の人に出会うのが
良いというのはそういうことでもあります。
無心で出会って猜疑心が生まれる
無心で出会って信じれると感じる
人の無意識は
養ってきた五感を常に活動させています。
無心も猜疑心も
紙一重である事がわかるでしょう。
相手だけの問題ではなく
自分の中にも問題は
あるかも知れないのです。
心の目を養うことを忘れずに^^