根性論と言われるとまたは聞くと

子供のころはそんなだったなと

本当に思います。

 

そう思われる方もいるのでは

ないでしょうか?

 

現代では根性論ではむしろ

押しつけや個性を潰すことや

暴力(言葉も含む)ことになりかねません

 

私もこの「根性論」にはいろいろ

思うことがあります。

一番辛かったのは

病気です。心にも体にも

根性論では越えられない壁があります

 

ですが親からよく

「根性がないから」「弱いから」

「意志を強く持たないから」

「逃げないでぶつかれ」など

まぁまぁ^^キリがないほど

言われたものです。

 

ですが人によってはこれが

将来の性格の一部となぅたり

日ごろから何に対しても

自信が持てなかったり消極的に

なってしまったり

心を病んでしまいます。

 

肉体の苦痛と心にできる傷は

どこか繋がって関連していたりします

 

私の話しで申し訳ないのですが

心臓発作の怖さから

階段を上る、坂をあがる、走る

一人でいるなど

出来ない事ばかりです。

これは根性論だと思っていました。

一人で何もできない自分が弱いと。

責めて悩んで苦しんで。

それを少しずつ開放できるように

なったのは数年前くらいからで

それでもできるようになったことは

1つもありません。

根性論ではないので自分を責めることを

やめるようになれたのです。

 

今は小さいお子さんでも

事故、事件、病気、トラウマなど

カウンセリングやケアがあります。

 

まだ昭和の時代(笑)の幼い私には

そのようなものはなく

根性論か薬で抑える。

またはめげない心をもともと備えていた。

などそのくらいであったと思います

 

出来ないことを繰り返し出来るまで

やるしかないとか

苦しいからと言っても

逃げられない状況に追い込まれ

慣れるまでやりなさい。の

繰り返しでした。

 

それが大人になって吹き出しました。

得体のしれない恐怖感だけが不安だけが

すべてを支配して「死、不安」しか

見えなくなるのです。

治療が必要でした。

医師を探しいろいろ行きましたが

細かく理解し聞いてくれる医師は

見つかりませんでした。

これからでもいい方に出会えれば

少しでもいい方向に変わるかもと

思うことは多々あります。

 

ですがありがたいというか

私のPTSDは心臓病に関してのみ。

心も心臓病からくる発作の恐怖のみ。

でもこれに付随する出来事が山ほど。

 

まずは親から始まるのです。

親を切り離せる訳はありません。

原点が難しいのです。

 

根性論が悪いわけではないと思います。

根性論がいい方向に向く

可能性や資質のある人は

きちんと見出せなくてはなりません。

 

今や過去の教育方法や

過去のやり方では通じないと

いうのを多々目にします。

 

喜怒哀楽の

怒、哀は必要ありません。

教育や人を、心を育てるのは

前提が愛情であったり

相手を思いやる、気遣う気持ちであり

成長を祈らなければと感じます。

 

時代とともに

人も変わらなけばならないと

いうことも多々あると

知ってほしいです。

 

戦後、戦中は根性は必要でした。

じゃなければ生きてこれない

そのような方々が私たちの親を

育ててきているのです。

背景も理解しています。

先祖にも苦しみがあっての

耐える力の中に根性論があったのだと

私は感じます。

ですがもう私たちの親は

戦争が終わった後に生まれているので

その本当の耐える、忍耐の意味の

根性論ではないと感じます。

 

今の大事に生きるのならば

根性論は使い分けなければならない。

そう感じたので

書いてみました。

 

また書きます♪  玲子

 

追伸

アガぺは12月24日から1月8日まで

お休みとなります。

少し長いですがご理解ください。

リモートは完全予約でお申込み下さい。

よろしくお願いいたします。