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頭の悪い独裁者が総理である理由を考えるブログ

民主主義と立憲主義の危機にあたって立ち上げました。戦争法案賛成議員の落選運動を推進中。

今年2015年のノーベル平和賞は、

チュニジア国民対話カルテットが受賞した。
(Tunisian National Dialogue Quartet)




知らない団体だったが、いくつか記事を読んで、
「うーん、なるほど・・・」と思った。

その功績は偉大で、今回の受賞は当然だ。


しかし反アベの立場の人たちからすれば、

九条の会にとってほしかった人も多くいただろう。


「残念!」という気持ちは素直にあると思う。

しかし検討されていただろうだけですごいことだ。


ただここはチュニジア国民対話カルテットが果たした、

平和へのその大きな功績を素直に讃えたいと思う。


しかし九条の会が受賞していたらどうなっていたか。


さんざん言われていることだが、

アベははたして祝福の電話をかけていたのか。


笑顔を作っていたのか。


興味深いところだ。


推測だが、電話も笑顔もなかったのではないか。


バングラディッシュで殺された星さんの死のように、

最初からなかったかのように振る舞うのではないか。


そして菅氏が菅官房長官語で、また冷え切った目で、

「いろいろな団体がありますし、いいんじゃないですか」

「九条の会というのが、どんな会かよく知りませんがね」

という露骨なお子様コメントを出すだろうなと想像する。


そして寿司マスコミもそれ以上追及なし。


チュニジアのように、日本も民主主義が進むことを祈る。


チュニジア国民対話カルテットという団体。

これまで多くの日本人は知らなかったと思う。


そんな私もその一人。


それがノーベル賞受賞により、その活動と功績が、

全世界規模で、多くの人の知るところとなった。


来年は九条の会がそうなっていることを願いたい。

アベ政権が蛮行を敢行した。


「来年参院選で勝てば、あとはやりたい放題」

という声も自民党内から出ているらしい。


露骨というか何というか・・・

もう少しひそやかに振る舞う術はないのか。


しかし救いの光のような話も伝え聞こえている。


かつてはこんな時、中国や韓国にいる日本人は、

「またお前らは軍国主義を目指すのか!」

「過去の侵略戦争を反省していないのか!」

と詰め寄られたり、罵声を浴びるのは必至だった。


しかし今回はそうした話は見事に起きていない。


理由は単純。


国会前のデモの姿が繰り返し海外に伝えられたから。






あの光景をみて、海外の人たちは、

特に中国や韓国の人たちは、

「アベは許せないけど、多くの日本人は違う」

とわかってくれたのではないか。


闇の中に輝いた光のエピソードだと思う。

日本の民主主義はいま始まったばかりだと思う。

「デモで声を上げるのは民主主義ではない」

「選挙に行って投票で結果を出すのが民主主義だ」


そんな批判がたまーに聞こえてくる。


もちろんいわゆる「右派」の主張だ。


しかし散々繰り返されてきたので屋上屋は避けるが、

これは政治学のテキストを紐解いて、

民主主義とは何かということを精緻に確認すれば、

いかに間違っているかがわかるだろう。


またこれらの右派主張は歴史の無知も晒している。


ベルリンの壁の崩壊だって、デモがきっかけだ。




右派主張は、あの動きを批判して、

その歴史的意義を否定した上でしか成り立たない。


デモは立派な民主主義的手法の一つだ。


今回の歴史的な動きに、たった数回でも、

参加できたことを自分としては誇りに思っている。


もちろん選挙に行くことは大前提だけれども。

これまで日本人がノーベル賞を受賞したとなれば、

国民は湧き、祝祭ムードにつつまれ、

首相が受賞者に電話をかける場面も和やかなもの、

そんなものだったはずだ。


しかし今回、ノーベル医学生理学賞を受賞した

大村智さんの場合は、アベも持つ国民的不快感を、

図らずも再確認するシーンを現わすことになった。


会見中、突然、アベから電話。

しかし一瞬顔をしかめた大村さんは、

携帯を持つ伝言係に二言三言伝えている。

どうも「あとでかけ直す」と伝えたらしい。

しかし折り返しを承諾しないアベは「出ろ」と指示。

仕方なく大村さんが出ようとすると、

今度はアベの都合で待たされるという事態。

大村さんは「Time is money」と皮肉を言って会見続行。




いやはや・・・


会見を中断させて電話をさせようとするアベの傲慢さ。

かけ直しを許さず、やむなく出たら待たせる非常識さ。


まったく何様だと言いたい。

日本国内閣総理大臣様か・・・。


職業に貴賤はないが、恥ずかしい職名になったと思う。


こうした一連のアベ傲慢&非常識劇。

そしてその舞台に無理やり立たされた大村さんの、

何とも言い難い表情と口調にすべてが表れていると思う。


アベから祝福の電話を受けることは嬉しい話ではない。


会見の邪魔でしかない。

むしろ大村さんとしては会見を汚された気持ちではないか。


こんなところでへらへらした顔をしたら、後年の教科書で、

ファシズム翼賛の道具扱いにされたと取り上げられてしまう。


誉れある受賞を電話一本で汚すアベ。

とにかく国民的不快感を作り出すことだけは天才的だ。


しかし大村さんのノーベル賞受賞は素直に祝福します。

あらためて功績をみると、その人類貢献度は素晴らしい。



先日、バングラディッシュ邦人殺害のことを書いた。


その時点で外国で日本人が殺害されて、

イスラム国が犯行声明を出している事態に対して、

何の声明も悼む言葉もない現状を批判した。


おかしいじゃないかと。


しかし・・・今になってもまだ何の声明もない。


ノーベル賞受賞者に嬉々として電話をかける

アベちゃんの広報映像が流されるだけだ。


おかしいという奇妙な感覚は確信に変わった。


アベ政権は、バングラディッシュの事件を、

完全に黙殺することに決定したのだ。


あまりに酷い政権。

あまりに冷酷なアベ。


都合がよかろうと悪かろうと、

日本人が海外で殺害されたことに対して、

何か発するべき言葉はなければならないだろう。


アベに対する怒りと同じくらい腹立たしいのは、

寿司で飼いならされたマスコミの姿勢だ。


記者会見でも何も追及しない。

質問すらしない。


既にマスコミはこの事件の報道をやめている。

終了したものとなっている。


ノーベル賞と国内の殺人事件の報道ばかりだ。


そんなにアベにおごってもらう寿司がうまいのか。

そんなに税金が化けた寿司がうまいのか。


よければ私がはま寿司でもおごってやるから、

少しはマスコミ総アベ広報化の恥を知ってくれ。


回っている寿司だけど、はま寿司は結構うまいぞ。

なんなら唐揚げを取ってやってもいい。

大盤振る舞いだ。


広報なら何紙も何局もいらないんだよ。


こんな知的三流国に生きていることが恥ずかしいよ。




犠牲者は66歳の全くの無辜の民。

アベ政権の意向ともイスラム国とも関係ない。


そんな悲劇が早速起きてしまった。


移動中にいきなり複数人からの銃撃されて死亡。

そしてイスラム国が犯行声明。




タイミングで考えれば、戦争法案の結果だろう。

アメリカの犬の国民は、アメリカ同様、ターゲットになる。


「I am not ABE」と言っても彼等には通用しない。


「日本人には指一本触れさせない」

と豪語したアベちゃんの言葉の虚しさが果てしない。


それこそ、菅官房長官語で、

「何を言っているのかよくわからない」話だ。


そんなアベちゃんは、10月4日の日曜日、

京都に行ったり会食を繰り返して1日を過ごしている。


これを書いている時点で日本政府として声明なし。

アベちゃんからその死を悼む一言もなし。


愚物としかいいようのない政権だと思う。


さっそく巻き込まれた実害が出始めた。

この怒りは持続し、落選運動に繋げなければいけない。


さらに不可解な事実もある。

バングラディッシュ首相がイスラム国関与をやたら否定。

そのバングラディッシュは日本の支援対象国。

もしかしたらバングラディッシュ首相の発言は・・・

そういう方面だけ、アベちゃんは頑張っていないか。


亡くなられた星邦男さんの冥福を祈ります。

そして遺族が適切な支援を受けられることを強く望みます。

映画監督の想田和弘氏による

「言語実験」が注目を集めている。


ツイッターでどうでもいいことで絡まれた場合、

(いわゆるクソリプ)

菅官房長官の言い草で切り返すという実験だ。


「そのような批判は全く当たらない」

「言っている意味がよくわからないというのが率直なところだ」

「そのようなことは断じてない」




ただこの一言だけで、

具体的になぜ批判が当たらないのか、

なぜ断じてないと断言できるのか、

一切の説明なしに切り捨てて終わりとしてきた菅氏。


それを真似するだけで、問答無用で、

コミュニケーションを遮断できることが立証された。


アベ政権がいかに国民へ何も説明する気がなく、

ただ一方的にコミュニケーションを断絶させてきたか、

実によくわかる実験となっている。


この想田氏の見事な切り返しに、

アベちゃん支持派のネトウヨの面々は、

キーキー言いながらフェードアウトしていっている。


見ていて実に面白い。

素晴らしい風刺力というほかない。


これを考えた想田氏はさすが映画監督だと思う。

細部からの世相の切り出し方が天才的だと感じる。


同時に菅のような国民との対話を拒絶する輩が

政権中枢にいる事実にあらためて戦慄を覚える。


アベ政権の醜悪ぶりは心底笑えない。

田原総一朗のツイッターをフォローしているので、

情報が入ってきていたので、出演番組を見てみた。




「所詮戦争法案に賛成した自民の一員じゃないか」


その批判がまず第一にあることは取り下げない。


しかし複雑な心境だったんだろうなということが、

言葉の端々や表情にはっきり表れていた。


本音はきっと反対だったんだろうなと思う。


シールズにも共感していたんだろうなと思う。


しかしそんなことは一言も触れないし、言い訳もしない。


あくまで自民党員としての線を守った上で、

戦争法案への反感と、シールズへの共感を、

暗に匂わせるにとどまっていた。


この人はいろいろ叩かれて、変わったのかもしれない。

そんなことをふと感じた。



アベが恥ずかしい会見をした。


ガラガラの国会演説後の記者会見で、

ロイター通信から、

「全然難民受け入れをしていないじゃないか」

と批判されて、こう答えた。


「人口問題として申し上げれば、

我々は移民を受け入れる前に、
女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、

出生率を上げていくにはまだまだ

打つべき手があるということでもあります」










・・・本当に恥ずかしい。


イギリスのガーディアンは痛烈な記事を出した。


一言で要約すれば、

「アベは難民受け入れを拒絶した。恥を知れ」

という記事だ。


ここまでストレートな記事は日本語では読めない。


最近、政治情勢を把握しようとすれば、

英語を当たらなければならない現状は何とかならないか。


しかし長い目でみれば、良い傾向だとも思っている。


アベは愚かだ。

そのことに議論の余地はないだろう。


違憲法案を強引に通したことも愚かさゆえの話だ。


しかしこうして愚かさを露呈してくれればくれるほど、

「いやいや、我々日本人の大半はそうではない」

という主張をしやすくなる側面があるのではないか。


そして違憲法案に反対した聡明な多くの日本人と、

愚かなアベ政権の対比がより浮き彫りになることで、

アベ政権を追いこむ国際世論の醸成につながっていく。


そんな希望もあると感じている。

国連総会でアベちゃんが演説した。


難民支援に970億円を勝手に使う約束をして、

その直後の記者会見で、

シリア難民を拒絶する発言をして、

全世界の批判と嘲笑を浴びる愚を犯した。


この話は別に触れたい。


ここで書きたいのは世界における

アベちゃんの存在価値だ。


映像、画像というのは時に残酷だ。

何万語を費やすより真実を浮き彫りにする。


他の主要人物の演説時はこんな感じだ。




しかしアベちゃんの時はこんな感じだった。




悲惨という言葉はこういう時に使うのだろう。

自分だったら、きっとあとで泣いている。


しかも残っている聴衆(?)もこんな感じだった。




スマホいじりやひまつぶし。




そして別会合の場としての利用。


つまり国際社会におけるアベの価値はないということ。


「いいから黙って金だけ出しておけ。

 お前に価値はない。お前の言葉にも価値はない。

 お前の金だけ価値があるから出してうせろ」


これがアベちゃんの存在価値だろう。


これが日本の価値とならないことを願うしかない。