コスモスの花が咲く頃 思う事の
つづきです
退院した彼女は
二人の子供とともに
「まだ行って無かった北海道に行くよ」と言って 出発した
こちらには 何かあった時の為に
旦那さんが残り
病院の先生も、北海道での事態に備え 病院にも手配してくれていたようだった
そして内心
「無事に帰れないかも」と
思っていたそうだ
~~が~~
往復
現地の方々
ホテル
お土産やさん
様々な方々の あたたかい心にふれたらしく
「あなたさぁ~ まだまだ日本も捨てたもんじゃないわよ」
そう言って
北海道から帰って来た
それも 元気! 元気!
それから家での闘病生活が始まった
「私は 一人でも平気だから」
「あなた達は 未来があるから」
そう言って 家族に今までの様に仕事を続けるように言っていたようだ
彼女は先のない自分を受け入れる覚悟を育てつつ
受け入れ
56歳で亡くなるまで
皆が仕事に出た家で 独り過ごしていました
何を 考え
何を 思い
何を 感じ
どんな心で一日 一日を過ごして居たのかは
私にはとてつもなく 凄すぎてわからない
私が家を訪ねる時は
電話を入れてから行く
彼女はすぐに起きれないから
自分のペースで
カギを開けておいてくれるのだ
部屋を少しでも明るくと思い
買っていった花が
少しでも元気がなくなる様子に
私は
敏感になり過ぎて
心の何処かで 申し訳ないと思いつつも 彼女と重ねてしまっていたり
していた
気丈であってもだんだん衰弱していく彼女をみているのが辛かった
本人が一番 悔しくて 辛いだろう
と
時間が許す限り家を訪ねたが
いつの日か花を持って行く事がなくなった
命あるものが
徐々にしぼんで行くのを目にするのは辛いだろう
私は勝手に思ってしまい
その分
いっぱい いっぱい
会いに行こうと
決めた
彼女は
私の前で弱音を吐く事はなかったけど
ひとつだけ
「早すぎる」と悔しがっていた
ある日
「こんな事になると思って買った訳ではないけど」
「お墓あるの」
「海が見える 高台のお墓」
「ロマンでしょ?」
「良かったわよ 買っておいて」
そう 笑っていた
入院した時
二週間の命と言われ
3ヵ月~6ヵ月と告知された
あの日から
彼女はすべてを受け入れ
命あるかぎり
前向きに 生きた!!
原発のわからないガンだった
残して行く子供
残された子供
共に いろいろ思う事もあったであろう
かける言葉が見つからない中に
彼女の子供達に
~お母さんいなくなって辛いけど
お母さん大事な事を残してくれたね
最後まで しっかり生き抜く事の意味を~
そう
言った
彼女の誕生日は5月
発病したのも5月
亡くなったのも5月
そして お墓に入った時
彼女の蒔いたコスモスが
私の膝の高さになり
お墓で 海風に揺られていた
最後まで
なんと言う終わらせ方
あっぱれで
潔く
映画のワンシーンのようだった
死んだ後の
お墓の花まで 整えていつた彼女は
私の大事な姉です

コスモスの花が咲くと
思い出します
そして
与えられた命
いろいろな事
あるけれど
けして
粗末に出来ないな
だらしない
最後に出来ないな
等 思うけど
いざ
そのとき
自分なりに
自分の終わり方できるかな~
7つ上の
母親がわりだったような姉のようには 私はできないかな
ちょっぴり
不安が よぎったり、、、して
~またね~