続けてのブログ更新には訳がある、、、
3月12日、娘のあちゃんが高校卒業しました
ター広島は欠場しそれより娘の卒業式でしょ
以前の自分だったら年度末で忙しいし父親なんてほとんど行かんじゃろ!って言いきっと行ってなかったと思うダメなパパ
昔はそんな時代であったのかもしれないがそれは過去で今は今の在り方を考えると行かないと後悔する気がしてパパも行くね!と
久し振りに着るスーツだが体形が変わっていないのは嬉しく唯一ズボンの太ももがキツイ
何故だろう???
そう!登山を始めて確実に足が太くなり筋肉が着いて来ているんです
50手前の年齢となりながらも人間のカラダって成長するんだと感動
にしても最後にクラスで一人ずつ賞状を授与するのだがすごく素敵なクラスでパパ泣いちゃったよ
男の子も最後に一言申すのだがほとんどが途中で泣き感謝の気持ちを述べたりで・・・・・・・・・・・・
思ったのです、、、
今の若い子は・・・など社会人としてのリズムを見ていたら正直アラフィフのワシはどうかいの!と思う事もあり将来の日本って大丈夫か?とも思う時もあるのだが昨日の卒業式を見て18歳の卒業生のスピーチを聞くとモヤモヤは払拭されすっごく明るい未来が待っていると感じたぜ
もうさ一言スピーチの時の気持ちって面接的な気持ちになってちゃんまりにも隣であの子育てたいわ!とかあの彼!いい営業マンになるで!などなど従業員としてマジで欲しいってなった
あちゃんにもあの彼って車興味ない?って聞いたりするワシ
大学行くし夢あるみたいよ!と・・・・・・・・
だわな(笑)
そんな風に感じる卒業式って初めてでした
あちゃんを見て楽しそうでツレもたくさん居てさおまけに夢までありやがる
振り返ると自分って・・・・・・・・
何にもなかったな
18の時に思っていたのは経営者とかそういう責任追わないとならない大人にはなりたくないってマジで思っていたのは振り返る度に思うのはココだけの話
人って変わるんだなと、良くも悪くも自分次第で転機ってのもある
ハタチの時に勤労学生になろう!って思わなかったら広島にも居ないだろうし18の頃の気持ちのままで最低限の収入と責任を負わなくても良い生き方をしていたのかも知れません
何故に変わったのか申します
一番になりたかった
ただそれだけです
一等賞をもらった事がないんです
ずっと中の下あたりの人生で中途半端でもあり学生時代も就職しても輝きが目立ってなかったように思います
スポーツも苦手で日陰な存在だったし・・・・・・・・
フツーに中の下で生きても不平不満もあるが生きる事も出来るし経営者さんと接しても羨ましいどころか生きている世界が違うんだとも思っていたのです。。。
学生時代も行きたい学校などあっても当然希望から反れて2番目の学校になったり、それに対してもどうせ自分は・・・と思っていたし
頑張りたいけどそこまで頑張りたくない、まぁ~なんとも勝手な性格であったのは間違いないでしょう
そんな僕でも今の自分があり違和感があれば転機なんだと今でも思い生きております
ハタチの頃に感じた違和感、、、
このままで大丈夫なのだろうか?と成人式が近付くに連れて高まる不安と将来をココで初めて考えたのかも知れません
踏み入れた事もない土地でありやった事のない夜間大学生、そりゃ不安もあったけど心に決めていたことは、、、
広島で一花咲かせてやる!!!
この思いだけでした
20歳だもん若いわ、もちろん経営者になってやる願望はこの時点ではゼロでしたからね
最後に申すのだが人って変われるのです、良くも悪くも自分のココロ次第で受動的な考えではなく光の射す方へ自分を信じ歩いて欲しいと卒業生さんたちへはなむけの言葉とさせてもらえたら幸いです
そんな感情に浸り過ごしておりました!
・・・・ではありません、午後からはお仕事じゃー
ちゃんまりに乗せて行ってもらい、、、
ガラスコーティングのお迎えに、、、
早々にビシッと仕上げて下さり本当にありがとうございます
パイセンが繋いでくださったお店でお付き合いをしてくださり本当に嬉しいです
お店へ戻りツインさんへ入替にいったり、、、
ノート車検納車にも行き終える一日にスーパー感謝
若者からパワーを得たのでまだまだ走り続けます
やれ!今日も快晴!笑顔全開素敵な一日の始まりでございます