統合失調症だけど社会で普通に生活できるんです。 -4ページ目

統合失調症だけど社会で普通に生活できるんです。

精神疾患を患っている、精神的にドン底にいる、将来に夢も希望も持てない――そんなあなたに届けたいメッセージがあります。
『統合失調症』という精神疾患を患い、精神的ドン底から、2年かけて大学に通えるようなり、将来に夢と希望を見つけた現役大学生のブログです。

「頑張る」とか思ってるから、いつまでも生きるのが苦しいのです。


日本は昔から、黙々と目標に向かって、人知れず努力することを美徳としてきました。

それは別に構いません。

日本の「美」がどうのこうの、批判する気も非難する気もさらさらございません。


ですが、多くの日本人が勘違いしてる。


頑張って勉強して、難関校に行こうとする。
頑張って期待に応えようとして、仕事に打ち込む。
頑張って夢を叶えるために、歯を食いしばる。

この文面を読んで、あなたはどう思いますでしょうか。

楽しそう? 充実してそう?

僕は微塵もそう思いません。

何故か。


「苦しい」と「辛い」と、常に思っているからです。


客観的に見て、これらは美しく見えるのはわかります。

将来、少しでも良い仕事、環境、生活をしようと努力することは素晴らしい。
両親や上司、友達から寄せられる期待に応えようと奮起することは素晴らしい。
自分の夢を叶えるために、がむしゃらになって努力することは素晴らしい。

それは認めます。

ですが、それはあくまで外から見た場合。

本人の内情としては、果たして「楽しく」「明るい」のでしょうか?

僕はそうは思わない。

「世間」の考え方を盲信し、やりたくもない勉強を何十時間も行い、
「期待に応えねば」と自らを追い込み、すべてを独りで抱え込み、
「今頑張れば未来はきっと明るい」と自分に言い聞かせてやり続ける。

それのどこが楽しいのでしょうか。
どこに充実を感じろと言うのでしょうか。


少し昔話をしましょうか。
見栄張りの、「頑張る」という概念を履き間違えた少年の話を。

は岡山県倉敷市に、5人家族の長男として生まれました。
でも、父親が転勤族なので、神奈川に引っ越して、また岡山に戻って、そして現在は東京に住んでいます。

は両親が本当に尊敬できる二人で、愛情を一心に受けて育ちました。

どこにでもいる『普通の良い子』でした。
勉強をやれと言われたら嫌々ながらやったりやらなかったり、友達と外で遊ぶのやゲームが大好きだったり。

一般的な子供ですよね。

ただ、変わっていたわけで決してないのですが、彼には一つ強い傾向を持ったモノがありました。

それは、「親の期待に応える」というものです。

そう言うと「勉強を頑張った」とか「親の言いつけは絶対に守る」と思われると思うのですが、それとはまた少し違います。

進研ゼミは何度も途中で放棄してはまた再開したりしました。
習い事の「ピアノ」は、泣いて喚いて行くのを拒みました。

では、なにを指して「親の期待に応える」だったのか。

それは、

 親からの『こういう人間であって欲しい』という想いを強く汲み取り、それを無意識に実行していた

というものです。


どういうことかと言いますと、例えば学校を転校しますよね。

彼は転校先で、誰もが嫌がる学級委員にいきなり立候補しました。

そういう「立派だ」と思われることを進んで引き受けてたんですね。

理由は、両親が誇れる息子であろうとしたためです。

きっと褒められたかったのでしょうね。

勉強は嫌いだからやりたくないし、かと言って運動神経がずば抜けてるわけでもない。

でも、両親をがっかりさせたくないし、なにより誇りに思って欲しい。

だから、学校のことを率先してやる。
先生に気に入られるように行動する。


ですが、人生は良いことばかりじゃない。

彼は軽い『いじめ』に遭いました。

彼は岡山で育ったので、普通に岡山弁をしゃべってましたのです。

ですが、神奈川に引っ越しした際、みんなに言われたのです。

『何言ってんのかわかんない』

それで、ちょっとしたいじめを経験しました。
まあ、からかわれたり避けられたりする小学生レベルのものでしたが。

けれど、当時の彼には大打撃でした。

また、これを両親に知られるわけにはいきません。
心配するに決まってたからです。

それから彼は心を閉ざして、心を出来るだけ透明にして、表面だけは笑顔に振る舞うようになっていきました。


そんな彼にも親友と呼べる友人が出来ました。小学五年生の頃です。

その日から彼は彼の親友と毎日毎日、放課後は色々な話を何時間もしていました。
どれだけ話しても話は尽きませんでした。

そのまま小学校を卒業して、公立の中学へ。
親友の勧めもあり、彼は野球部に入部しました。

その中学の野球部は戦力的にも人数的にも弱小でした。
彼が二年生になった途端、メンバーが僕を含めて6人しかおらず、公式大会は練習試合すらできなくなる状態になりました。

ですから、彼らは部員集めに奔走しました。
色々な友人に片っ端から声をかけて行きました。

そして、遂には、公式試合の最低人数である10人になる事に成功したのです。

メンバーを集めている時は、本当に楽しく、充実したものでした。
ですが、一方で苦しく、また辛いものでした。

しかし、彼はこの時確信めいた「未来」を抱いていたのです。
このまま自分が部員を集めて、公式試合に出られるようになったら、自分はどうなってしまうのか。

それでも彼は、その予感を頭の隅に押しやり、気づかないふりをしました。
部員の中で、彼が一番積極的だったと思えるほど部員集めに奔走したのです。


そして、彼はその中学での最初で最後の公式試合で、唯一の補欠として参加することになりました。


試合中、ベンチで、かつて学んだように心を透明にしながら、
今まで一年から練習していた友達と、彼が勧誘した後から来た部員たちが試合するの見守り、
最終回一回だけの守りだけで参加しました。

その後、彼は親友のいるその中学から別の中学へ転校しました。
転校先でも、前の中学でやってた、という理由で誘われ、また「野球部」になりました。

そこは30人近く部員がおり、結局卒業までに試合に出られた回数は、おそらく全部の指で足りることでしょう。



そして、中学を卒業し、東京の高校へ進学しました。

そこで彼は、東京の人と地元の人とのギャップに衝撃を受けたのです。

彼の周りがそうだっただけなのかもしれませんが、人と人との繋がりが冷たくて、苦しくなりました。

例えば、駅などでクラスメイトに会うとします。
岡山にいる時は、目を合わせれば「おはよう」なり「じゃあね~」なりと、言葉を交わすのは当たり前でした。

ですが、東京では、そもそも目線すら合わそうとしない。
挨拶なんて、拒絶されてる感強くて出来たものじゃなありませんでした。

それに死ぬほど驚愕し、得も言われぬ冷たさを感じてしまいました。

「ああ、東京の人はやっぱり冷たいんだな……」

そう思うとともに、息苦しかったです。

その時にさらに感じました。


 現実はこんなにも息苦しい。


東京での生活は冷たくて、無機質で、無味乾燥としたものになりました。


仲が良くなったグループで、メンバーの誰かが掃除なので遅れる時はみんなで待つのに、彼の時は誰一人として待っていてはくれない。

帰りの電車では、四人で帰っていても友達は常に三人席を選んで座り、彼だけいつも三人目が降りるまで立ったまんま。

いじられ役だからと、周りにバカにされながら過ごす日々。


「俺らは本当に友達なの?」

「友達ってなに?」

などと常々考えるようになりました。

それでも、彼は彼らと仲良くしようと頑張り続けました。

どんなに不当な扱いを受けようとも、笑って、おどけて、ふざけて見せました。

そして、高校二年の夏休みを迎えたのです。

受験勉強が本格的に始まりました。
父に勧められるまま予備校に通い始めました。
そこで彼はまたやらかしたのです。


 「親の期待に答えなくては!」と。


そしてしゃにむに勉強するようになりました。

一日時間を初っ端から連日やり始めたのです。


その結果、彼がどうなったのか。


「心」が木端微塵になったのです。



お気づきかとは思いますが、この「彼」とは僕こと「永井公久」の人生です。

楽しい時がなかったとは言いません。
リーダーを気取るのは楽しく、充実していたのも事実です。

ですが、頑なに努力をし続け、周りに馴染もうと苦しんで、期待に応えようと頑張った結果、大切なモノを失うことになったのです。


これは僕に限った話ではなく、例えば小説やドラマでもしばしば題材にされている内容です。

プロのミュージシャンになるのが夢の少年がいたとします。
彼の隣には、高校の頃から付き合って支え続けてくれた彼女がいます。

都会に出てきた二人は、バイトをやりながら、貧しくも希望に溢れる生活を送り始めます。

しかし、彼らは現実を知ります。

オーディションを受けるもすべて不合格。
どんなに練習しても上手くならない演奏。
明日の食べ物もままならない苦しい生活。

彼は頑張って、頑張って、食いしばった歯の間から血がにじむくらい頑張って――

そして、彼は支え続けてくれた彼女と八つ当たりのようなケンカして、別れてしまうのです。

よくあるお話ですよね?


小説やドラマは、この後なんだかんだと彼は自らの過ちに気づき、彼女に謝罪と感謝を伝えた後、晴れてゴールインするところまで行くことができます。

けれど、現実はこんなことは大半の場合、ありえないことではないでしょうか。

現実は、取り返しのつかないことがほとんどではないのでしょうか。


僕を救ってくださったあるお寺の住職さんが言われてた言葉があります。


「『頑張る』って、漢字的にも固くなって努力しているように見えませんか?

だから苦しいのです。辛いのです。

固くなって、頑なって物事をやるから、人生が楽しくないのです。

そうじゃないんです。

『頑張る』のではありません。

『顔』を『晴れやか』にして『顔晴(がんば)る』のです。

力を込めてじっと地面を見つめているのではなく、顔を上げて晴れやかにすれば良いのです。

こっちの方が、よっぽどいいと思いませんか?」


僕ははっとしました。

固い物ほど実は壊れやすいというのは、ご存知の方が多いと思います。

また、どんなに強固なものも、何度も高熱と冷却を繰り返せば、あっという間にもろくなります。

何故、人の心も同じと思えないのでしょうか。

頑なに心をガチガチにして、世間の荒波に呑まれて、何故無事でいられるのでしょう。

だから、『頑張る』のは苦しく、辛いのです。

『頑張る』んじゃなかったのです。
『顔晴る』だったんです。


僕は今、社会で生活ができています。

それも、ここ二週間ほどで、夜勤を何度もやっています。

肉体労働で、一日平均9時間の勤務。
17時から、よくの10時までの仕事、17時間拘束13時間勤務も経験しました。
バイトの後も勉強があったので、2日で3時間程度の睡眠しか取れない日も何日も、それも連日で経験しました。

ですが僕はバイトをしてて、

このバイトを辞めたいとも、

行きたくないとも、

だるくてしんどいと思ったことも、

あまりありません。

それは顔を晴れやかに顔晴ってきたからです。


正直に言いまして、昔と今では、見える世界が全然違います。

がちがちに力を込めて、結果俯いてしまってた昔と違い、
顔を上げて前を見つめている方が、圧倒的に清々しく、世界が広いです。

だから、僕は普通に、けれど周りよりも楽しく人生を歩めているのです。


あなたは、その努力をしてて苦しいと思っていませんか? 辛いと感じていませんか?

もしもそう思い、感じられたのならば、少し胸に手を当ててみて欲しいのです。

それはがちがちに力を込めていませんか?
ひたすらに固くなってませんか?
『頑張って』ませんか?

顔を晴れやかにして『顔晴れ』たのならば、最高ですよ^^