このブログを始めたのは高校3年生の時。
もう6年も経つ。
まだまだ下の世代を見ても、自分も若いつもりでいるし、大学生気分も完全に抜けきっていない。
それでももう社会人3年目になる。
自分の体に刻まれる24年という数字。
生きてきて、24年。
何て長い年月だろう。
お誕生日おめでとう、と言われるけども
24年も育ててくれた両親に、本当に感謝の意を表したい。
もう、いつ自分の将来の夢を定めたかなんて忘れてしまった。
高校で大学進学を志していた時には、もう全てを決めていたはずだから、恐らく8年くらいは夢を追いかけているのだろう。
人生の1/3は今の夢を見ていたことになる。
あれだけ強く願い、今でもその努力の結果が多少手に残る漫画家という夢。
それが小学校6年間。
その後、ただ今を生きることだけを考えていた中学の3年間があり、
今の私を形成する高校3年間があった。
私の夢は、幸せな家庭を築くこと。
幸せの定義なんて、人それぞれであるが、
私の基準は自分の育ってきた環境+αである。
私の理想は実家。
父と母とても仲が良く、相手を思いやり、尊敬しあい、子供に対して深い愛情を注いでいる。
父が一家を支え、母が家庭を守る。
典型的な昭和の家庭のようだが、私にはそれが自然だった。
あの、両親の関係が私には理想である。
ただし、子供を育てるということに対しては
あまりにも現実的で、ものを知らなかったのだと思う。
現実的という意味では、まず第一に子供に対して特別な期待をしていなかったという事だ。
確かに一般的な家庭に生まれたけども、子供が夢中になっていることへのアンテナがあまりきかなかったのではないか。
兄はゲーム、私は絵、どちらも一見ただの遊びのように思えるが、毎日毎日飽きずに続けているその情熱を育てようとは思わなかったのだ。
ゲームは遊び、やめなさい。
絵では食べていけない、ほどほどに。
彼らには応用をきかせる知識がなかったのだ。
また、伸ばすための環境が近くになかったのも、原因の一つだろう。
また、彼らは平日とても忙しくしていた。
私は母親に甘えたかった、もっとそばにいて欲しかった。
しかし金銭面でそれは叶わなかった。
幼少時、人見知りで友達も少なかった私は家に帰ってきてもすることが無かった。一人で絵を描いていた。
友人が母親と買い物したり、お菓子作りをしたり、いや、家に帰ってくると母親が家にいる、
それだけで羨ましかった。
小学校6年の時に弟が出来たが、私はその時、
この両親からの愛はもう貰えないのだ、
彼は三人家族を形成し、
私はもう自分の家庭を築くしかないのだと悟った。
その時決めた人生プランは全くブレていない。
そのせいで諦めてしまった多くもあるが、決して無駄だったとは思わないし、趣味や勉強などは今からでも取り戻せる事である。
現実として就職し、今の仕事をしている事は正直人生プランとしては大いに意外だった。
ここまで社畜になるつもりは無かった。
だがこれのおかげで彼とも出会えたわけだし、
今後彼が社畜化しても、気持ちを汲み取ることが出来るだろう。
今はもう、自分の夢実現も目前である。
3月の配属発表から両親への挨拶が始まり、同棲が開始される予定だ。
そして私もようやく自分のために生きる。
転職し、自分の好きなことに時間を費やすのだ。
仕事を充実させ、彼を支える。
それが今年の目標。
いつまでもいつまでもサボることなく
頑張り続ける人生こそ、私らしい。