まだ木曜日ですか。
今週は長いなぁ。
いつもは一週間あっという間なのに。

彼がチリにいるからですね。
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時差が12時間なのでなかなか連絡もとれません。
時差、12時間って冷静にすごいな。
元気かしら。

さて、今日のお昼は転職に向けて自己分析。
全く違う業界だからこそ、どうつなげるか難しいところ。

ちょうど1年前も転職活動していたけど、
前はとにかく当時の環境から離れたくて。
やりたいことがないから、事務の仕事を選んで履歴書出してた。

今回はちがう。
やりたいことがしっかりあって。
やっぱりクリエイティブなことをしたい。
言葉を誰かに伝えたい。
たとえお給料が低くなっても、
今のまま無駄に時間を過ごすのは嫌だ。

お金が貰えるから、
社会人としての根幹が、とか
そういう割り切り方は出来ないんですよ。
不器用なので。

このままいつまでも自信を持てずに
萎縮して潰れるのは嫌だ。
今の仕事も、続けていればきっとやり方を覚えて
こなすことは出来るかもしれない。
でもそれはきっと、好きになれない。

無理だ、自分の感情に支配されすぎて。

私は文章を書きたい。
人と会って話したい。
エクセルでも、システム構成図でもなく
自分の頭で考えたら言葉で
誰かに影響を与えたい。

私は誰か頼みだったり
型に縛られたりするのは嫌だ。
もっと、クリエイティブな事を。

報告は簡潔に、論理的に。
そうではなく、
人の心に訴える、書物がしたい。

やろう。


彼と付き合ってから、
初めてきっかり一週間、会わない。

とりあえず、部屋はとても綺麗になりました。
私の身体に流れるのはA型の血なので、整理整頓は好きなのです。
そしてO型の彼。
…わかりますね?

勿論会えないのは寂しいけれども
やる事はあるからどうにでもなる。

逆にまめに連絡くれるのは彼のほうだったりして。
以前の私からは考えられませんね。

さて、今日は久々に母親と電話。
同棲や結婚について。

付き合って、一年経ってからにしなさいとの事。

理由は、私の見定めが1年周期だから。

私も自分自身、疑問に思っている。
何故こんなに結婚を急いでいるんだろうと。

同棲に関しては、
現実的に家賃やベッドの大きさのことがある。
だから急ぎたいのはわかる。

だけど結婚は?

プロポーズはサプライズで感動的に、
式も盛大に、
指輪だってこだわりたいし
ハネムーンは是非ヨーロッパに。

そう考えたら今はとてもとてもお金が足りないし
時間もない。

それでも、契約を急ぐ。
口約束でない、結束を求む。

何故なのか。

私は、周囲に誇示したいのだと思う。
幸せだと。
努力して成功を掴んだのだと。
これまで私の事を蔑んできた人々に見せつけたいのだ。

決して裕福な生まれでない、田舎娘。
顔が特別言い訳でも、頭が良いわけでも、才能がある訳でもない。
ただ、夢に対する努力は怠らなかった。
その結果、勝ち取ったのだと。

これは悪いことだろうか。

付き合う前から、お互いの将来について語り合い、それ以後も何度も何度も確かめあい、深めあってきた私たち。
交際期間は半年だが、毎日一緒に暮らし、
お互いが自身を偽らず、悪い所も含めて愛し、
ここまで来た。

早すぎるのは、だめだろうか。

もうこれ以上の人は現れない。
そう、お互いが思っているのだが。

誰かに話してもあまりわかってくれないだろう。
あくまで論理的に相手に納得させなければならない。

いろいろと考えることが多くて大変だが、
前進する楽しみを蓄えている。


このブログを始めたのは高校3年生の時。
もう6年も経つ。

まだまだ下の世代を見ても、自分も若いつもりでいるし、大学生気分も完全に抜けきっていない。

それでももう社会人3年目になる。
自分の体に刻まれる24年という数字。
生きてきて、24年。
何て長い年月だろう。
お誕生日おめでとう、と言われるけども
24年も育ててくれた両親に、本当に感謝の意を表したい。

もう、いつ自分の将来の夢を定めたかなんて忘れてしまった。
高校で大学進学を志していた時には、もう全てを決めていたはずだから、恐らく8年くらいは夢を追いかけているのだろう。
人生の1/3は今の夢を見ていたことになる。

あれだけ強く願い、今でもその努力の結果が多少手に残る漫画家という夢。
それが小学校6年間。
その後、ただ今を生きることだけを考えていた中学の3年間があり、
今の私を形成する高校3年間があった。

私の夢は、幸せな家庭を築くこと。

幸せの定義なんて、人それぞれであるが、
私の基準は自分の育ってきた環境+αである。

私の理想は実家。
父と母とても仲が良く、相手を思いやり、尊敬しあい、子供に対して深い愛情を注いでいる。
父が一家を支え、母が家庭を守る。
典型的な昭和の家庭のようだが、私にはそれが自然だった。
あの、両親の関係が私には理想である。

ただし、子供を育てるということに対しては
あまりにも現実的で、ものを知らなかったのだと思う。
現実的という意味では、まず第一に子供に対して特別な期待をしていなかったという事だ。

確かに一般的な家庭に生まれたけども、子供が夢中になっていることへのアンテナがあまりきかなかったのではないか。
兄はゲーム、私は絵、どちらも一見ただの遊びのように思えるが、毎日毎日飽きずに続けているその情熱を育てようとは思わなかったのだ。

ゲームは遊び、やめなさい。
絵では食べていけない、ほどほどに。

彼らには応用をきかせる知識がなかったのだ。
また、伸ばすための環境が近くになかったのも、原因の一つだろう。

また、彼らは平日とても忙しくしていた。
私は母親に甘えたかった、もっとそばにいて欲しかった。
しかし金銭面でそれは叶わなかった。
幼少時、人見知りで友達も少なかった私は家に帰ってきてもすることが無かった。一人で絵を描いていた。
友人が母親と買い物したり、お菓子作りをしたり、いや、家に帰ってくると母親が家にいる、
それだけで羨ましかった。

小学校6年の時に弟が出来たが、私はその時、
この両親からの愛はもう貰えないのだ、
彼は三人家族を形成し、
私はもう自分の家庭を築くしかないのだと悟った。

その時決めた人生プランは全くブレていない。
そのせいで諦めてしまった多くもあるが、決して無駄だったとは思わないし、趣味や勉強などは今からでも取り戻せる事である。

現実として就職し、今の仕事をしている事は正直人生プランとしては大いに意外だった。
ここまで社畜になるつもりは無かった。
だがこれのおかげで彼とも出会えたわけだし、
今後彼が社畜化しても、気持ちを汲み取ることが出来るだろう。

今はもう、自分の夢実現も目前である。
3月の配属発表から両親への挨拶が始まり、同棲が開始される予定だ。

そして私もようやく自分のために生きる。

転職し、自分の好きなことに時間を費やすのだ。

仕事を充実させ、彼を支える。
それが今年の目標。

いつまでもいつまでもサボることなく
頑張り続ける人生こそ、私らしい。