幸せに満ち溢れていると感じている人や、なぜ私だけこんなに辛い運命を背負っているのかと嘆く人や、何にも感じずただ生きている人など様々だ。
其処に勿論格差もあれば貧富の差もある。
そこに人間性も付随してくる。
だけど皆平等に与えられていることが一つある。
それは人は皆産まれて死ぬという事だ。
当たり前のようだがそれだけはいつの時代も変わらずに続いている。
ずっとずっと、生命が誕生してからずっと。
そのなかに色んなドラマが存在している。
だけど最後は死ぬのだ。
輪廻というものが存在するかどうかはまるで分からないが、今現在自分が生きているなかでは全く意味をなさないことのように思える。
信仰のなかで様々な思考があり、それ自体は自由だ。
だけどやはり最後は死ぬのだ。
死して何も語れずだ。
それは人に限らず全ての生き物においてもかわりなく同じだ。
皆死ぬために生きている。
生きるために食べている。
今の世の中食べ物に溢れている。
世界的に見たらそれは間違っているのだろうが、少なくとも今の我が日本においてはそうだ。
贅沢に消費されている。
様々食材が街に溢れかえりそこに人が群がる。
今の不景気といわれる状況のなかでも食を求めて群がっている。
深刻に別れ話をしているカップルも、国営の為の深刻な話し合いをしている政治家も、食がそのシチュエーションを彩って盛り上げている。
きっと、『幸子に別れ話を切り出されてとても驚いたし悲しかった。まるで料理の味を感じなくなった。食事が喉を通らないというのはきっとこういう事だって思った。折角二人の記念日だから予約したホテルの最上階のフレンチなのに、まさか別れ話になるなんて思いもしなかった。幸子に好きな人が出来たって言われたときはそれは心臓が鼓動を速めすぎて口から下呂を吐きそうになった。丁度その時メインの乳のみ子牛の香草縛り焼きが出てきた。
とても食べるきなんてしなかったけど、その場を取り繕う意味とうろたえているという事を悟られまいとする一心で口に運んだ。そしたら驚くほど肉に丁度よい脂がのっていて、固すぎず柔らかすぎずといった絶妙の焼き方の香ばしさ。それらに香草が複雑な奥深さを加えて、それはそれは美味しかったです。思わず二人ともニンマリしちゃいました。そして目があってちょっと二人とも気まずくはにかんじゃいました。だけど結果は変わらず別れてしまいました。幸子の事はいつか忘れても、あのときの肉の味は忘れません!』なんてこともありうるはずだ。
それぐらい人は食の虜だ。
生きるため以上に虜だ。
そもそも刺身なんて生肉だ。
何のても加えずただ切っただけ。
生肉だ。
その生肉、生内臓に今人が群がっている。
命を落とすかもしれないという危険をかえりみず群がっている。
僕はそこまで、並んでまで食べたいものが存在しないのでとても奇妙な光景に思える。
況してや生肝臓のためときたら無理だ。
皆その豚や牛の肝臓をきってそのまま食べるために並んでいる。
我先にとひしめき合って。
並んでいる。
凄いパワーだ。
大野屋さんは生レバー以外だって最高に旨いんだから今日だけくるなんてナンセンスだ!
お陰で今日はいけなかったぜ!!
だから店から歩いて帰りました!
一時間も歩いて帰りました!
最近ちょいちょい歩いて帰っています!!
なのに全然痩せないから焦ります~

そんな帰り道のひとこまです!
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