「なぁなぁ今度一緒に神社行かへん?」って日本人以外の誰かを誘った経験はない。
初詣とか観光で連れて行くのはあってもお寺や神社の神聖なるイベントに内容の分からない人別の宗教の人は普通誘わないと思うんですが、ドイツに来てからよく友人に「教会一緒に行かへん?」って誘われます。暇だったら「別にいいよ。歌とか知らんけどいい?」てな感じで一緒に出かけたりってこともあるのですが神聖な場所へ神聖な気持ちを持たずに行くのは失礼だと感じるので普通に断りもします。
神社、仏閣を訪れる際は自動的に厳かな気持ちになるけれどそれ以外の場所だと「ふーん、そうなんや」で終わってしまう。
でもキリスト教の土台のヨーロッパで暮らす以上「へー、そうなんやぁ」で避けて通ることは出来ない。
何か信じられるものがあることはいいことだし同郷の人達との出会いの場所があるのはとてもいいことだと思う。
語学コースへ通っていた頃、レバノンから来た敬虔なイスラム教のクラスメートがお祈りの言葉を休憩時間にみんなに伝えようとしていたのを思い出した。
金曜日モスクで無料アラビア語講座あるからよかったらおいでよと誘われたけど結局行かなかった。ドイツ語がほとんど話せない渡独時に彼はそこで仲間を見つけたのだ。
そういや「何の宗教信じてんの?」という問いも語学学校時代にはよく受けた。
神仏を信じていますって言ってもなかなか分かってもらえないときは無宗教だと答えた。
が、しかし無宗教はこの社会ではあまり褒められたことではないらしいことが後々わかってくる。Bremenには中国人教会(ミサが中国語)、Hamburgには日本語教会がある。
電車の中では神父に話しかけられた。
それほど広まっているキリスト教を学ばない手は無いと思った。
知っていれば話が出来るものね。
OmaにSchutzengelのネックレスをもらった。
飛行機で飛ぶ日には友人が私の為に祈ってくれる。
想いは伝わってくる。
イタリアのミラノへ行ったときにはバスの中で女性に勧誘された。
私は彼女の説明に耳を傾けた。(意味ナイーブなのだと思う)が、イタリア人の友人は
「神は人間に宣伝などしてもらわなくてもいい」と一蹴。
そそくさと退散する彼女を哀れだと思ったが、宗教がらみの犯罪も多いので気をつけなければいけないとのこと。
禅が有名になった今、「私は心の奥に信仰を持っています」と言えば大概理解してくれる。
実際心の中には少なからずそれがあるのだと思う。
だから桜をあれほどにいとおしく感じるのかも知れない。
