人生雨のち日本晴れ
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シンディ

彼女はシンディと名乗ると、ポニーテールを揺らしながら理知的な笑顔で挨拶をした。

身長は恐らく145cmくらい、クリクリとした目の浅黒い顔立ちはどこかインド系を思わせる美形で、笑うと白く大きな前歯がこぼれた。

日本語は全くわからないようだが、英語の話し方に知性を感じ、それでいて愛嬌のある女性だった。

シンディはまだ入店して3ヶ月で、ミンダナオの家族に仕送りするために、BAYSIDEの裏にあるアパートに住み込みで働いていた。

僕たちは、話の合間にロエルをかませて、彼女の警戒感を解くような配慮をしながら、少しずつ本題に入った。

ポイントは、近松がガールフレンドを探していることをストレートに伝え、我々が決してヤクザではないことをわからせることだ。

目的と条件をクリアにすれば、後は不安要素を取り除くことだけだと考えたのである。

その1つとして、レガスピータワーの部屋がある。単なる旅行者ならその場しのぎの嘘をつくかも知れないが、部屋を構えているとなれば、からかっているのではなく、また資力があると言う証明にもなる訳だ。

僕は、近松に促されて彼女を部屋に来るように誘った。但し、明日のランチにだ。もちろん、シンディに必要以上の警戒をさせないために他ならない。

ところが翌日、結局待てと暮らせど彼女は現れなかった。

ロエルがアパートに迎えに行くと言い出したが、近松はそれを制した。そんなことをすれば、彼女に恐れを抱かせるだけだからだ。

その晩BAYSIDEに行くと、近松は再びシンディを指名したが、全く怒った素振りを見せず、もう一度誘った。

但し、今度はロエルにアパートまで迎えに行かせ、夕食を共にして同伴出勤と言うコースを設定した。

そのために、マネージャーに500ペソを握らせてお店公認扱いとし、彼女が断りにくい状況を作っておいた。

そんないきさつを経て、シンディはようやく第一歩を踏み出すことになったのである。

当初のスケジュールでは、今回の滞在は10日間の予定だったが、既に何だかんだと1週間が過ぎていた。

そして、シンディと出会ってから5日目となる夜、僕は彼女に決断を促した。

近松のガールフレンドとなる契約に同意するかどうかと言うことである。

その条件とは、

・近松の滞在中は、BAYSIDEには出勤せず、常に一緒に過ごすこと。

・日本からのゲストがある時は、本心にかかわらず、本物の恋人を演ずること。

・但し、近松からセックスは強要しない。

・店に対するペナルティは近松が支払う。

・シンディに対する報酬は、1日当たり1500ペソ(当時の日本円で6000円)支払う。

と言う内容のものだった。

僕はシンディに、一晩の猶予を与え、万一返事がNOであっても、報復するようなことはしないと約束した。

彼女には金が必要なはずだった。足元を見ていることにはなるが、双方の利害が一致すれば仕方のないことで、たがら「契約」と言う言葉を使っているのだ。

シンディにとっては、絶好の条件だったはずで、勇気さえあれば承諾すると踏んでいた。

しかし、彼女は恐怖心に勝つことができなかった。翌日、ロエルを通じて断りの回答を寄越して来たのだ。

僕はひどく落胆したが、近松は切り換えが早かった。そもそも、シンディに惚れていた訳ではなく、ダメならダメで次に行けば良いとの考えだった。

そうして、ロエルには新たな指令が与えられることとなった。



現地スタッフ

僕たちが歓談をしていると、ステージではオーケストラがスウィングジャズを奏で始めた。

いつも思うことだが、フィリピン人の音楽的才能はとても優れており、どこの店に行っても素晴らしい演奏を聞くことができる。

BAYSIDEのバンドは管楽器を中心とした15人ほどの大編成で、グレンミラーばりのジャズを始め、オールディーズやホールでダンスを踊る客のために、ワルツやタンゴなどもこなした。

そんな音楽に思わず聞き惚れていると、突如として背後から目の前にオシボリが突き出された。

振り向くと真っ白なユニフォームに身を包んだ中年男が立っていて、僕と目を合わせた瞬間「マッサージね、社長!」と言ってニッコリした。

フィリピンでは男性に対する一般的敬称に「ボス」を使うため、日本人と見れば誰にでも「社長」と呼びかけるのだ。

僕はそれに苦笑いしながら正面に座る小山の方に目をやると、薄暗がりの彼の背後にも白いユニフォームが浮いていた。

「いらなかったら断って下さい。オシボリを受け取ったらOKと言う意味になります。マッサージをしてもらったら、100ペソくらいのチップをやって下さい。」

小山はそう教えてくれた。彼によれば、マッサージ師たちはそのチップで生計を立てているそうで、何とか得意客を作ってチップを上乗せしてもらうのに必死なのだそうだ。

僕の右側の席では、既に大柄で純朴そうな青年に近松が肩や背中を揉んでもらっていた。そして、珍しく彼のお気に召したようで、背後で汗を流す青年に向かって親指を立て、誉める仕草をしていた。

「気に入ったから、名前を聞いて、チップをはずんどけ。」

そう言うボスの指示で、僕は彼を手招きすると小さく折り畳んだ500ペソをその手に握らせた。

ロエルと名乗ったその青年は、満面の笑みを浮かべて恭しくお辞儀をすると「ワタシ、ルームサービスOKですね~、社長さん」と僕の耳元で囁いた。

近松にそれを伝えると、早速後でレガスピーの部屋に来させるようにとの指示が出た。

ひと通りのマッサージを終えたロエルは、巨体を小躍りさせるように店の奥に歩いて行き、右腕で小さくガッツポーズを作りながら暗闇に姿を消した。

その晩、ロエルは1時間ほどのマッサージで1000ペソを獲得し、翌日の夜以降もBAYSIDEで毎晩500ペソを稼いだ。

そんな日々に変化が訪れたのは、3日後のこと。近松はロエルに昼間のガイド兼ボディガードの話を持ち掛けた。

もちろん、直接話をしたのは僕だが、彼は二つ返事で快諾した。どうやら以前にも似たような申し入れに応じたことがあるようだった。

翌日から、ロエルは毎日11時にレガスピーに来るのが日課となり、僕は時給50ペソを基準に彼の報酬を記録した。

後に近松から聞いた話だが、実は初めてロエルを部屋に呼んだ時に、彼自身が近松にそれとなくアピールをしていたのを、敢えてわからない振りをしていたらしい。

それは、ロエルの人柄を見極めるのと、我々がヤクザではないが特別な日本人であることを彼に印象付けるための近松の作戦であった。

そして、いつものように、その作戦にはまだ奥があった。

「ロエル、BAYSIDEにボスのガールフレンドに相応しい女の子はいないか?」

僕はそう切り出すと、ロエルに近松の好みのタイプを細かく伝えた。

彼は「もちろん、いるよ~!」と自信満々で答えると何人かの名前を挙げてみせた。

そう、近松の真意は、ロエルが店の裏側に詳しいことを見越して、仲介させることにあったのだ。

小山の助言に従うならば、限りなく素人に近い女性を選ぶに越したことはないのだが、こちらには相手の素性を知る手だてがない。

その点、スタッフのロエルならば、候補者探しにうってつけであるばかりでなく、女性を信用させるにも一役買ってもらえると言う寸法だ。

近松の相変わらず計算高さに、僕は改めて舌を巻いた。

足りないもの

晴れてホテル住まいからステップアップしたものの、いざ生活しようとすると色々と足りないものがある。

近松と僕は、まずは近くにあるハリソンプラザに物色をしに出掛けた。そこはちょうどレガスピータワーとシェラトンホテルの中間くらいにあるショッピングモールで、飲食店をはじめとして、専門店やスーパーマーケットが入っていた。

SM(シューマート)はフィリピンでも大手のチェーン店で、食料品や家電や生活雑貨を取り扱うダイエーやイトーヨーカ堂のようなところだ。

僕たちは、取り急ぎ最低限の食器類と近松が好きなコーラやお菓子類をまとめ買いした。

食器類とは言っても、コップや皿やフォーク、スプーン程度のことで、好き嫌いの激しい近松は、僕に料理をさせることはしない。

結局いつもファーストフードと言うパターンで、この日もハリソンプラザ内にマックを見付けて、表向きはイヤイヤながらにハンバーガーを買うのであった。

今回マニラに来るにあたっては、事前にプロモーターの小山に連絡を取り、今夜は「BAY SIDE」で落ち合うことになっていた。

誰かと待ち合わせの時には、宮本武蔵よろしく相手を待たせるのが近松の常套手段だ。

それは、相手をイライラさせて本性を見抜くと言う大義名分と自分自身が待つのが嫌いと言う理由からだった。

約束の時刻に20分ほど遅れて店に入ると、小山は既に着席して一杯やっていた。

「いやぁ、お待たせして済みません。出掛けに日本から電話がありまして…」

僕はもっとらしい嘘を言って詫びた。

小山はフィリピンタイムに慣れているせいか、全く気にする風もなく笑顔で我々を出迎えた。

今回小山と会う目的は、近松にとって最も不足しているもの、すなわち自室に囲う女性の調達方法の指南を受けることだった。

「簡単そうでいて、実は難しいんですよ。」

小山はそう言うと今までの経験を踏まえたポイントを説明し始めた。

「まず、基本的に水商売の女は止めた方が賢明ですね。それから、日本語が上手なのも避けた方が無難です。」

つまり、近松のような立場の者がフィリピン女性を囲うのならば、スレていない素人娘を選ぶに限ると言うことなのである。

そもそも、水商売系つまりタレントたちは、自分で生計を立てられるようになっているため、特定の日本人に囲われることはないのだそうだ。

店の客相手に駆け引きを演じ、馴染み客を広く持った方が増収につながるのは明白だからだ。

それと知らずに、いつかを期待して金を注ぎ込むのは、時間と金の無駄と言う訳である。

また、日本語ができると言うだけで、既に多くの日本人を手玉に取って来た可能性があり、素人と言えども用心すべきとのこと。

それでは具体的にどこでどうやって、と言う話になるのだが、

「ここにも結構いますよ」
と小山は言った。

「あの…、水商売は止めた方が良いのですよね?」
僕はすかさず疑問を投げかけた。言ってることが違うじゃないか…。

「はい。実は、この業界には独自のルールがありましてね。」

小山の言う「水商売」とは、コーラスラインなどのプロが所属している高級クラブであり、ある程度の金が動く環境を指していた。

それに対して、BAY SIDEのような店は、基本的に中流以上のフィリピン人が客層で、ホステスも田舎から出て来たばかりのアルバイトがほとんどなのだと言う。

つまり、ここが登竜門になっていて、器量の良い娘たちが徐々にクラスアップしていくという仕組みなのだそうだ。

なるほどそれでプロモーターの小山がBAY SIDEに出入りしている理由がわかった。彼もまた安くて良い人材を発掘しようとしていたのだ。

「ただ、難点がありまして、田舎娘なもんですから、社交マナーなどを一から教えなければ、恥ずかしくて外には出せませんよ。」

日本語ができない代わりに驚くほどガサツな部分があり、矯正が必要とのことだった。

「運が良ければ、ダイヤの原石が見つかるかも知れませんね。」

小山はそう言って笑ったが、一歩間違えば我々と競合することになるのだから、内心穏やかではないはずた。

「タレントとハウスワイフは違いますから、たぶんご迷惑をお掛けすることはないでしょう。」
僕は彼に気休めの言葉を贈った。


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