ボクと恵太君は、2000年7月の『ひまわり』から2003年12月の『アイデン&ティティ』までの麻生久美子を、心からの愛情を込めて、「ネコ目期」と呼んでいる。ネコ目期の麻生久美子は、もうすでに十分美しいのではあるが、目元にまだ若さと言うか、若干の目線のきつさというか、若々しいトゲのようなところが残っていて、よく見ると猫の目のような感じだね、というので「ネコ目期」と呼んでいる。例えていうなら、収穫するにはちょっと早かった柑橘類みたいなもんで、香りはもうすっかり食べごろなのに、いざ口にすると酸っぱ過ぎる、みたいな感じ、ということで意見が一致している。
このあと、2004年2月の『eiko』から、2008年2月の『たみおのしあわせ』までが恵太君にとってはパーフェクトらしく、その後の『モテキ』や『ガール』は少しニュアンスが違ってくるらしい。そして、『グッモーエビアン!』からは新たなステージに突入したという解釈のようである。そこらへんがボクとは違っていて、確かに『たみおのしあわせ』がひとつの絶頂であることは認めるものの、2009年、2010年あたりも捨てがたく、特に『シーサイドモーテル』は、抱きたい麻生久美子NO.1作品だと思っている。それに、そもそも、ボクは『泣くな、はらちゃん』で彼女の素晴らしさに気付いたわけであり、それ以前にピークがあったというのは論理矛盾であるので採用しない。恵太君はボクを経由して麻生久美子を本格的に見るようになった割には態度がデカい、と最近つくづく思う。
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それはともかくとして、昨日は『Beauty うつくしいもの』を観た。なるほど、表題の通り、ここに登場する人物の関係性も、ひたむきさも、伝統芸能そのものも、じっと何かを耐える姿も、そして、四季折々の風景も、なにもかも、美しい、というキーワードでくくられそうな映画ではあったが、エピソードのすべてがさらさらっと描かれていて、確かに美しいね、くらいな感じで終わってしまった。小学生が体育館で見るような感じだね、という恵太君の意見に同意である。麻生久美子については、歌舞伎役者として泣きのシーンがあるのだけれど、彼女のあの声は、歌舞伎のそういうシーンには合っていなかった気がする。
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DVDを観終わり、ニュースを見ていたら、またまた大雨で凄いことになっている映像が流れた。あまりのすさまじさに、この破壊エネルギーはうまく利用できないものかと思い、理系の恵太君に聞いてみたら、面白いこと言うね、で終わってしまった。ついでに、男と女が別れる時に費やす破滅エネルギーもすさまじいんだけどね、と言おうとしたが、あまりに自虐的になりすぎて恵太君が引いてしまいそうなのでやめた。
だが、そういうことは一度考えてしまうとなかなか頭の中から出て行ってくれないもので、TVニュースの濁流の映像を見ながらも、ボクはあの煩わしかった数か月間のことをぼんやり振り返っていた。もう何年も前のことだから、あの時は何もかもが煩わしいことの連続だった、とまでは思い出すものの、具体的に何がどのくらいというのは、もうすっかり思い出せなくなっている。そのうち、彼女とのことも、ある時期に一緒に暮らした誰かとの思い出、みたいに、うすぼんやりしたものになるのだろうか。
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そのうち、飲みに行く?という話になったが、着替えるのも電車に揺られるのも面倒なので、この近所ならいいよ、と言ってはみたものの、同じようなチェーン店しかないし、あの中華料理店はちょっと通い過ぎだし、結局面倒なので、今日も旨辛チキンになった。恵太君に、同じものばっかでよく飽きないね、と言われるが、コンビニであれこれ探したところで、あんまり変わり映えしないし、所詮コンビニは便利を買っているだけで旨いものを買ってるわけじゃないので、ボクは一向気にならなかった。でも、そういえば少し生野菜が食べたいかも、と思ったものの、あまり手が伸びそうなものがなく、いいやこれで、と、結局野菜サンドを一つ買った。
白角の水割りを飲んでみたが、なんとも中途半端で、こんなことならいつも恵太君と出かけるショットバーにでも行けばよかったと少し後悔した。
DVDもTVも見飽きて、だらだらEsperanza SpaldingとかLana Del Leyとか聞いているうちに夜も更けたので、じゃあね、と言って恵太君が帰って行った。
いつもと同じような休日がいつもと同じように終わった。
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つづく