目的のためにあるものはすべて死んでいる

 

道具がいい例。
道具自ら発想し、何かを生み出すことはない。

 

ペットだって生き物と道具の微妙なライン。

生かすも殺すもオーナー次第。
人間の暇つぶしのために、半ば奴隷のような扱いを受けている。

 


国家や民族に忠誠を尽くし過ぎる方々も、自分を道具に追い込んでしまうような気がする。

 

「少年よ大志を抱け」
と少年だったころの僕に誰かが言ったとしたら、

「なんであんたに上から目線で言われなきゃならないんだ、それは自分の魂がすでに決めている、ほっておいてくれ」

と返しただろう。

 

自分の生を謳歌しようと思うなら、魂はどこにも所属せず自由にしておいたほうがいい。

どこで生まれようが、その群れに同化する必要などない。
その瞬間、あなたは道具になってしまうからだ。

 

もちろん他人の気持ちを理解したり、憐れんだり、称えあったり、嘆き悲しんだり、そういう精神活動は心を豊かにする。

だからといって、生身のあなたを何かに縛り付けたり、自らを十字架にかける必要はない。
 

家族や仲間を大切に思う気持ちは大切だ。

でもそれはあなたがその目的のための便利な道具になったからじゃない。

誰かが作ったルールは守るためにあるのではなく、何のためにできたルールなのかを理解することが先決で、

普通に暮らせるように致し方なく作った決め事を、目くじらを立てて警察のように取り締まる必要はない。

キリストが誕生した2021年前、地球の総人口は1億人ちょっとだったそうだ。
地球全土に日本の人口くらいしか人が住んでいなかったのだから、70億人を超えれば窮屈に感じるのは当たりまえ。
そのときいざこざが起きるから、仕方なくルールを作ったのだと僕は思う。

南アフリカの偉大な指導者ネルソンマンデラもインドの偉大な指導者マハトマガンジーも弁護士だった。
彼らが単に頭脳明晰で法律を上手に使えたから指導者になったのだろうか?

ある程度はそうだったと思うが、本質はそうではないと思う。
自分たちの文化や生活環境で出来た訳ではない、侵略者たちの持ち込んだ法律を押し付けられて、そこにもともと住んでいる人たちが自由を奪われ、奴隷のように働かされるのに立ち向かうため、方便として法律を使うことが出来たからだと僕は思っている。

 

上級国民という言葉を聞いたことがあるだろうか?
どの国でも法律はダブルスタンダード以上の多重構造になっていて、警察だって、軍隊だってまずは上級国民を守るための層があり、その周りに一般の国民を守るためのそれがある。

こういう話は都市伝説などで聞くことがあるが、すぐに忘れてしまう。
真実は法律を操る人たちが、自分たちに都合のいいように変化適用させてしまうので、一般の方はついていけないのだ。
でも一般の方の中にもそれらを徹底追及する方がいて、マザーテレサのように弱者と言われる方たちを助けている

ここで気を付けなければならないことがある。

自分をそういう道具に仕立ててしまうことだ。

問題を提起した人の取り巻きが、大きな力に立ち向かうために組織を作り、その組織を運営するために、ビジネスモデルを完成させ、その時から、特権階級の方たちの傘下に知らず知らずのうちに入れられてしまう。
企業と労働組合のような矛盾した仕組みが出来上がるのだ。


これ以上説明しても僕自身がしっかり調べ上げたわけではないので、説得力に乏しくなるからやめておこう。

 

世の中の教育は偏っていて、科学社会システム、金融システムを理解するものばかりに特化していて、何のためのルールなのかを理解するための教育抜けているのである。

自らの感性で考えること」を社会がさせないのだ。

それをされると特権階級は崩れてしまう恐れがあるため、世の中はそっちへ行かないように子供のころから教育される。

「少年よ大志を抱け」

「目標を立ててそれに向かって日々努力しろ」

「科学的な目を育て、新しい発見をして便利な世の中を創りだせ」

でも、それらが「平和」を蝕んでいることに誰も気が付かないか、気が付かないふりを続けている。

全ての活動には中間業者がいて、そこが一番経済的に潤うことになっているのは、人々がダイレクトに本質に触れないようにするための工夫だと僕は思う。


野性は自らの価値観でバランスよく動き、ペットや奴隷のようにはならない

現代人は、自然に直接触れ、そこから学び、考え、その考えを後進に伝える責任から逃げている。
親方日の丸、責任は誰かが取ってくれる生き方が蔓延している。

そのとき、目的のための道具(歯車)に自らを仕立て上げてしまう。

あなたのいのちを強くする一番の薬は、自分を何かのための道具にしないこと
とくに過去の出来事に囚われないこと

 

そうすれば魂にもともと生えている羽で、今この瞬間、どこへでも飛び回れる。

 

人類はシュメール文明といわれる時代辺りから、道具に成り下がってしまったのだ。