「マネジメント」は「管理」ではない。

今では当たり前の認識として理解されているこの言葉ですが、理解していても、いざ仕事で実現するとなると難しいもの。

そこで、改めて「マネジメント」の本質を学んでみました。


先ずは、「マネジメント」と「管理」の違いですが、これは明確にドラッカーの書籍『マネジメント』に定義されています。ここでいう「管理」とは、「コントロール」の事であり、マネジメントの一部ということがわかります。

つまりマネジメントには、「管理」すべきことがあり、それは、「必ず守らなければならない」点について、ルール化し、実行するように述べられています。


では、マネジメントの本質とは何か?


それは、「人間と組織の力を生かした、創造・創発活動」になります。


『企業、政府、NPOのいずれであれ、マネジメントの定義は一つしかありえない。それは、人をして何かを生み出させることである。』(プロフェッショナルの条件より)



では、具体的に何をすれば良いか?

先ずは『対話』
そして、メンバーの「強み」「特有の資質」を見つけ『認める』


『マネジメントとは、人にかかわるものである。その機能は人が協働して成果を上げることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。』(新しい現実より)



さて、改めてドラッカーのマネジメントについて纏めましたが、世の中間管理職の悩みは尽きることがないですが、少しでも前進して行く悩みに変えれるようがんばっていきます^^






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先日、阪急ホールで開催されている「アートアクアリウム展」に行ってきました。
ネット情報によると混雑しているとの書き込みがあったので、午後から行くには、若干の不安があったのですが、久しぶりの空き時間だったので、思い切って行きました。

「アートアクアリウム展」とは、様々な金魚を光や音、映像を使って幻想的に魅せるアート展なのですが、何か響きが魅惑的で、昭和的な匂いもしたので、前から気になってたんですよね。


では、撮影OKだったので撮ってきました。

photo:01



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あかーん!写真では、良さが伝わらない。



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業界がら、「プロジェクトマネジメント」という言葉をよく聞くし、それを実行しているところをよく見る。

しかし、改めて考えると、「プロジェクトマネジメント」って何なんだろう?


プロジェクトが計画通りに進み、計画通りの結果を残す事が目的であるならば、「プロジェクトマネジメント」は、その目的を阻害する要因を取り除くことになる。


以前、コンサルタントの方にお話を伺う機会があったのだが、その方は、「プロジェクトマネジメントとは、結局リスク管理に繋がる」と仰っておられました。



様々な側面から考えると、一言で言うこと自体が意味のないことかもしれませんが、「プロジェクトマネジメントはリスク管理」という定義には、ちょっと納得しました。


改めて考えると、身近で使ってるけど、イマイチよくわからない言葉って、多いですね。



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毎週金曜日の朝カフェ勉強会では、フェルミ推定で、頭の運動をしています。

では、今日のフェルミ推定は・・・


「日本にガソリンスタンドはいくつあるか?」


Let's thinking ♪





ちなみに僕は、面積ベースで考えていきました。
日本の国土面積は、約38万㎢ですが、山間部と平野部に分けることができます。まず、山間部にガソリンスタンドはないと推定して(あっても少数だと思われるので、ここでは切り捨てます)、山間部:平野部=7:3とすると、平野部は11.4万㎢。

次に平野部を①田舎②都市③大都市と3区分し、それぞれを6:3:1とすると、①田舎→6.84万㎢②都市→3.42万㎢③大都市→1.14万㎢となります。


更に、1㎢辺りにあるガソリンスタンドの数を①0.1②0.25③0.5とする。
結果は・・・

① 6.84万㎢×0.1= 6840
② 3.42万㎢×0.25=8550
③ 1.14万㎢×0.5=5700

合計:21090


ということで、日本には約21000軒のガソリンスタンドがあると推定できました。




さて、検証してみると?H23年調べですが、約33700軒あるようです。

うーん、まあまあの精度ではないでしょうかσ(^_^;)

また、頑張ります。



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以前から漠然と考えては忘れ、また考えを繰り返している「自分が自分であるために」というテーマがあります。
自分という存在価値を探しているような、永遠に答えが出ないような問ですが、それでも、自分が生きている限りは、考え続けないといけない問だと思っています。

仕事でもプライベートでも、第三者が影響を与えてこない時はありません。それが良いものであったり、悪いものであったり、時と場合によっても違いはありますが、人は人の影響を受けるものです。

もちろん、影響を受けることが悪いのではなく、影響は受けてしかるべしなので、それを否定・拒否することはナンセンスです。

最近、冒頭の問を改めて考えてると、少しだけ自分の考えが固まってきました。それは、「人のせいにしないこと」です。特にうまくいかないことや、嫌なことがあると、誰かのせいや環境のせいにしてしまうことがありますが、それでは、自分自身では何もできないと結論づけてしまうことになってしまいます。

つまり、「自分事化」することが、「自分が自分であるために」必要なものの、少なくともひとつなんじゃないかと思いました。


自分ができないと思えるのは、「他人事」だから、できると思えるのは、「自分事」だから。


そういえば、少し前にとある人がお酒の席で言っていた「習慣とは思い込みである」というのも、習慣にしたい事柄に対して、自分自身が出来るとか、必要だとか、自分のためになる(それが人のためにもなる)と思い込むことによって「自分事化」してるのかもしれませんね。


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