幼少期の虐待が母親になった女性を苦しめる。 | アダルトチルドレンの夜職とチャットレディ体験記。

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アダルトチルドレンの生き様を現在進行形で書いたブログです。

チャットレディの記事多めです。

人に何かを教えるというよりは、奮闘記録に近いものとなっています。


同じように悩める方の気晴らしになればと思っています。

主治医に提案された長期曝露療法について考えています。



私は、自分の親が毒親かもしれないと25の時思い始めました。



そこからはとても苦しみました。



親を憎む気持ち、捨てたい気持ちと、結局は親を捨てられない葛藤に苦しみました。




そんな中、怒り出すと止められないという症状が出始めたのです。



結婚した後、そして自然流産を経験し長年勤めてた仕事を辞めた30頃のことでした。



ごはんを作っていて無性にイライラすることが増え、涙が溢れることが増えました。



そして些細なことで夫と喧嘩になった時、私は持っていた白米を盛ったお茶碗を夫の脚に投げつけて流血させてしまったのです。




それからというもの、私の中でそれ以前から患っていたうつ病とは別の、『何か』が動き出し、おかしくなっていったのです。




そのことを心療内科で相談しても診断や原因がわからず、婦人科へ行くよう勧められました。



そして婦人科ではあなたの性格だと言われ治療法も提案されず絶望し傷ついたこともありました。



生理不順で別の婦人科に行った際相談すると、イライラと血糖値の関係があるからと、食事療法などアドバイスをもらいましたが、私の説明のつかない怒りの爆発とやるせない悲しみの感情はそのアドバイスとは根本的にズレていて、実践してみたものの効果はありませんでした。




心療内科でも婦人科でも診断がつかず治療が行われないまま、タイムリミットのある出産をし、念願の母親になりました。



そしてそこからが今までの比でない大波乱の連続でした。





初めての出産でした。



出産による心身へのダメージは想像以上のものでした。心身の大打撃と、慣れない赤ちゃんのお世話。



私は頼れる人がいませんでした。




夫は協力的でしたが、そういう問題ではなく、子育ての実践と心のサポートがなかった。




二度と戻らないと決めていた実家へ、産後のボロボロの身体と育児の不安に押し潰されそうになりながらわずかな望みを託して里帰に挑んだのですが…惨たんたる結果に終わりました。




物が多い古い実家は不衛生で哺乳瓶の周りにゴキブリが動いているのを見たその日に、自宅に帰ると決めました。



それだけじゃない。私は実家では見世物でした。自室は与えられず居間に布団を敷かれ、常に人が出入りする環境でした。プライバシーもなく、授乳の時も父の前で胸を出すしかなかった。



授乳をしてると祖母がそばでじっと見ながら、「お前はどうせ乳がでないんだろう。」と言ってくる。



こんなのおかしいですよね。おかしいのに、この家ではこれが普通。何を言っても毒親には通じない。昔から子どものプライバシーなんかないのです。本当に家自体が毒なのです。




こんな感じで最悪な産後のスタートでした。一般的な育児の孤独ではなく、実家が異常でこんな目に遭わなければいけない、まともじゃないのに誰にもわからないだろうという孤独でした。




産後、本当に身体がしんどかったのに、里帰りからわずか1日で逃げ帰るようにして私は自宅に帰り、洗濯や水仕事など、かなり無理をして動いていたのを覚えています。



私の身体が辛いということを説明してもそれよりも我を押し通してくる毒親。




その頃は今ほど拒否や境界線が引けず、(今も上手ではありません)私の心はどんどん壊れていきました。



幸い赤ちゃんのことは愛おしく、かわいいと思いながらお世話が出来ましたが、赤ちゃんが可愛ければ可愛いほど、わけのわからない怒りや悲しみ苛立ちが私を襲いました。



こんな可愛い子どもになぜ私の親はあんなことが出来たんだろう、と。




また、人の気持ちをなぜあそこまで無視出来るのか。



そうまでしてなぜ、私を生んだのか。



私は、支配されるために生まれたのか。



私が私として存在することを望まれていないなら、私はなぜ生まれなければならなかったのか。




私は出産したことで、開けてはいけない箱を開けてしまいました。





親は私を愛していなかった。



あるのは親の要求だけだった。



その事実は受け入れ難く、しばしばショックで愕然としたものでした。



でもショックを受けることすら、慣れっこだったのです。




埋めようのない心の穴。



全ての悲しみと叫びが、穴の中で渦巻いているようでした。





息子が4歳になった今、私の心の変調は、精神疾患の他に幼少期の虐待によるトラウマであると病院で判明しました。



この診断が下るまでに、10年以上通っていた病院を変えました。



変えなかったら私はずっとうつ病診断のままでした。


これって問題ですよねえ?


まったく、長い長い、長すぎる時間がかかってしまいました。



でも、息子を産んでなかったらこの診断にさえたどり着いてなかったことでしょう。



子育てをする中で襲いかかってくるフラッシュバックは、何度も私を混乱とパニック、錯乱状態に陥らせ、最終的な警察騒ぎは私の心の限界を知らせたのでした。



病院を変え、心理検査を経て診断が下った今は、間違った診断で出ていた投薬を中止し適切な投薬に切り替えたことで感情の爆発はある程度薬で抑えられています。




一方で、積もりに積もった長年の幼い頃からの心の傷が原因となり、小さなきっかけで思わぬところで恐怖やパニックに陥ってしまう現象は今現在も続いています。



まだまだ安心・安全が育っていないのです。



根本的な治療にあたる恐怖に慣れる治療は長期曝露療法だと医師から聞きました。



取り組んでみたい気持ちとそれに耐えられるかどうか不安な気持ちの両方で揺れています。



その治療をする場合、かかりつけの心療内科ではやってないらしくまた別の専門病院に通院しなくてはいけません。



治療内容も辛い記憶を掘り起こし自ら1時間くらい語ったものを録音し、さらにそれを自分で聞くというハードなものです。



それを15週間かけて続けるらしいです。



すごく大変そうだけど、ある程度理性を保ったまま行っているいつものカウンセリングとはまた違ったアプローチで、保てなくなった自分から落ち着く方法を習得するには効果があるかもしれないと思っています。


費用や時間的に今すぐ出来なくても、今後の病状によってはやる価値があるかもしれないと考えています。


焦らずに検討していきます。