ペタしてね

読者の皆様方


謹んで、新年のお慶びを申し上げます。



1.今年は、辰年です・・・・・・



ある方が言っておられたことですが、武家時代から前の時代は、一般民衆の方たちは、いわば読み書きが出来なかったために、この世への人間の命の誕生から、天国へ昇天するまでの人生を、12支という、12種類の動物に例えて、人間として正しい生き方を教え諭すために、12支=12種類の動物を取り入れた・・・と聞いたことがあります。


ネズミのね・・・・子=根=種


卯・・・・・・・・・・・生まれる


辰・・・・・・・・・・・立つ=立ち上がる=飛び立つ=巣立つ・・・・自立


つまり、今年は、皆様方にとって、羽ばたく、立ち上がる・・・絶好の機会の年ではないかと思うのです。



人間の歴史は、一般的には、横に年代順に学ぶ学問を、どなたもしてきました。


しかし、鎌倉時代の人であった(間違っていたら、御免なさい)、北畠親房という人は、その著書【人皇正統記】という本を書き上げ、要は、歴史というものは、他人様のモノを学ぶ学問だが、そんなことよりも、一番大切なことは、「自分自身の歴史は、今日から、今から、作っていく事なのだ・・・」ということを述べております。


古今東西、多くの哲学者たちの究極のところは、「自分以外の知識は誰しも多く学んでいるが、自分自身のことは、全く何も知らないのだ。大切なことは、他人のことや他国の事よりも、自分自身のことを知ることが、一番大切なのだ・・・」ということで、多くの著書本を残しております。



2.自分探しの人体実験・・・・・・・



以前の、このブログにも書きましたが、私は、幼児の時から病弱の身で、子供の頃に入退院をしたり、ある朝、起きたら、左耳の中から、出血をしていても、痛みは全く感じず、いつもの医者へ母に連れて行かれ、痛い治療を毎日、小学3年生の学校帰りに受けて治ったりと、とにかく、毎月、学校を病気で休んでいた身でした。


だから、今から自分の若い頃を振り返りますと、少なくとも幼児の時から約25年間は、病弱の身で、悩み、辛い思いをして、生きてきましたので、大人になってから、何とか、普通の人たちと同じく、健康な人間になりたい・・・だけを願って、生きておりました。


そして、21歳の時から、圧力鍋を買って玄米食を食べ始めましたが、私にとっては、あまり、効果は感じられず、それから、色々な宗教の門も叩いて行き、精神的な勉強もさせて頂きましたが、これまた、自分にとって、しっくり来るモノはなく、結果として、特定の信者になることもありませんでした。


けれども、24才の時に、ある方の紹介で、例の中国で仙人の修行をしてきた・・・・???という、実に変わった???

方の会へ入会させてもらい、そこで、レベルが上がるごとに、色々な心身向けの修行法を教わり、そして、絶食・絶語・絶念という、いわば、「食べられない、しゃべれない、五欲にかられた思いをしてもいけない・・・・」という心身両方の修行を、許可をされた人たちだけが出来るクラスに入れまして、そこで、毎月、そして年間計画で、定期的にさせてもらいました。


毎月、山の奥深くある、その道場での修行を終えたら、いつもの自分の住まいのある、俗世界の生活へ戻るのですが、結果的には、約3年間は、「木の実・野生に自生している食べれる雑草=薬草・そば粉・果物・野菜を中心とした食生活で、とても元気に生きて居られたのが、とても不思議な気持ちでした。


普通の方たちよりは、私の場合には、既に、ある程度の医学を知っていた身でしたが、世間一般の医学の常識と、私の人体実験=神仙道の流れを汲む、このような特殊な事実による体験から言えば(他の方たちも、同様に健康になっていくので)、どうも、色々な見方・考え方による、発想の転換をすれば、国内のみならず、世界にも、難病や難症で、困っている人たちは、どこの国にもいるようですが、、どのような病状であっても、普通に食べれるという病人であれば、必ず、良くなる可能性は、大いにあるのでは・・・・・? と思えてならないのです。




3.超古代の大和の国の歴史・・・・・SFの世界へ、ようこそ・・・・・・



わが国は、歴史が他の国と比較をして、とても新しい国・・・・と、誰しもが、教わって来ている。


しかし・・・・


此処からは、SFの世界となります・・・・ので、信じる、信じないは、さておいて、適当に読み流して頂きたい。



真言宗では1000日行というのがあるが、私の場合は、合計約5年間以上、上記のような世界へ足を踏み入れて、自分を探す修行????のようなことをしていき、そしたら、ある方との出会いがあって、わが、この国には、実は、初代天皇は、神武天皇となっているが、実は、それ以前に、数百代の天皇の名前が家系図のように書かれてある、「富士古文書」という古代の秘密本が存在していることがわかってきた。


さらに、それとは、また別に、超古代文字=神代の時代の文字が、これまた、この国には、数多く存在していることもわかり、それらの文字から、アラビア文字、梵字、ギリシャ文字、ハングル文字・・・が誕生していく、母なる字体であることもわかってきて、運良く、私は、その非売品の古文書の1冊、竹内古文書を手に入れたのである。


しかし、なぜ、それらが、世間に出されないのか・・・というと、明治時代に、そのような神聖で万国の根源の国である・・・・ことを、時の天皇へ知らせようとした、日本書紀に出てくる武内宿祢の子孫である、竹内神社の神主、竹内巨麿がおられて、その方が、警察官によって捕まえられて、牢獄へ入れられてしまった・・・・という事実の話が残っている。


刑務所へ入れられた理由は、「今の天皇制度を冒涜する不謹慎罪・・・・」という理由からであった。


しかし、再犯の確率は低いものとして、以後、そのような事は二度としない・・・・という約束のもとに、釈放されたのである。


日本書紀に登場してくる武内宿祢の子孫が、今も竹内神社を継承しておられることには、感慨深いものがあった。


その場所は、今の茨城県北茨木市内の東京寄りにあり、皆様、童謡でおなじみの野口雨情の生家近くにある、神社で、今も現存しており、境内には、時の武内巨麿が修行をして、竹内古文書の解読を天から授かった・・・・という、修行の洞穴が、私がだいぶ前に訪ねた時には、現存していた。


私の持っている、その秘密本には、日本の天皇の象徴の印である、菊花御紋であるが、その古文書に書いてあるのは、わが大和の国が、世界の中心で、肌の色が違う人間を創る神様、文字の神様・・・・・と、合計16種類の人間造りの使命を帯びた神様たちが、全世界へ向けて旅立つことを印した模様が、16方位=即ち、後の世に、菊花の御紋となった・・・・と。


「日本沈没」とか、世界の中で、「日本という国は、ダメな民族????」・・・・と、マイナス・イメージしか、持てない日本人は、結構いるようだが、私自身は、「世界で一番歴史が古く、万国・万民の母国なのだから、もっと自信を持て!!!!・・・・」と、思っている人間である。


この読者の皆様方は、たぶん、私よりも、はるかに年齢が若い方たちが多いと思う。


私が、小学1~2年生の頃だったか、今の太平洋上に大きな「ムー大陸」が存在していて、それが、沈没して、太平洋の海の中へ沈んでしまう、外国の映画を母親に連れられて見た記憶が、今でも残っている。


大西洋には、これまた大きな「アトランティス大陸」があった。


それらは、今から約16000年前から、12000年前まで、存在していたことが、歴史学者によって明らかにされている。


その後、何度かの地球規模の変動=大地震により、陸地がバラバラになり、やっと落ち着いて来たのが、ユーラシア大陸であり、中国やインドに、少なくとも、5000年前から、インドには、アーユルベーダ医学、中国には漢方医学・・・・が、誕生していた。



以上は、私自身が、現代の東西両医学だけに満足をせず、そもそもの人間の生誕と同時に、超古代の人間たちの生き方、病気になった時の医学的な治療法・・・・・を、少しでも知りたくて、足を使って、外国へも行き、帰国後も、国内を探し歩いた結果、上記のような、色々な古代の古文書・・・・の存在に、たどり着いた次第である。



以上、SFの世界としてお読みになるか、それとも・・・・・



どちらにせよ、まずは、自分自身を知って体調を丈夫にする事と、医学の超古代からの歴史を探し求める事は、もう終えている。


もう、人生の半分以上=半世紀以上を生きて来た人間なので、これからも、ご縁のある方と出会い、治療の依頼を正式に受けたら、全力で、良くなって頂くことだけに集中して医術を施していく・・・・使命がある。


それが、この世に生命を受けて、今も生かされている、私の使命である。


使命を果たせば、天国から御迎えが来るであろう。


それまでは、ひたすら、患者様の病状の軽減→治癒へ向けて、一路懸命に努力をしていくだけである。


元々、貧しい農家に育った身なので、「座って半畳、寝て一畳」、そして雨露が凌げたら、それで私の生活は出来る。


良い車にのって、良い衣服を着て、その上に白衣を着て、広い家に住む・・・・ことは、町の育ちではないので、農家育ちの私には、元々から似合わないのである。



4.永田徳本という、江戸初期の名医・・・・・



徳川2代将軍、秀忠が病になった時、ご典医や、当時の名医にも診てもらったが、一向に良くならず、その時に、牛に乗って、たった16文だけの安価な料金で治してしまう、年寄りの名医がいるが、居所がわからず、江戸中を探していたら、偶然にも、牛に乗った永田徳本を、家老が見つけて、江戸城の中へ招き入れ、そしたら、1日ごとに病状が良くなり、治療代は16文だけを受け取ったが、天下の徳川将軍が治癒したのに、16文しか払わなかった・・・・という噂がされたのでは、天下の笑い者になる・・・・ということで、ならば、お米数百表を頂いたそうだが、届けた所は、貧民街であふれていた箇所で、そこには、永田医師は、全く住んではいなかった・・・・という。


この永田徳本という名医は、江戸時代初期に本当に生きていた医師で、その江戸初期に建てられたお墓は、長野県の諏訪湖の湖畔に、市の文化財指定となっていて、今でも現存している。


しかし、その永田医師の貢献は、多くの貧しい人たちを救ったばかりではなく、あの山梨県全域に広がる、葡萄栽培の方法も、農民に伝授したことで、それで、今の山梨県内は、国内でも有数のワイン生産地としても、有名になっている。


また、そのような人間としての貢献度は、抜群であったので、中でも、その医徳にあやかりたい・・・・と思って、命名した企業名が、テレビのコマーシャルでも有名な「トクホン」・・・という医療系の名称は、それが由来である。


いまや、日本国内の製薬・医療系企業は、外国からの企業に押され気味かもしれないが、純粋な国内企業の、「トクホン」社様、どうか、世界中、どこにもないような、特許を取得されて、世界に向けて頑張れる、強い企業として、成長されますことを、心から祈っております・・・・。


今回は、一番最後に、勝手に、1つの企業の宣伝をしてしまいましたが(笑)、読者の皆様方、わが国の素晴らしい、過去の医学の歴史の経緯についても、ご理解を頂けたら、とても嬉しいです。



今回も、長くなってしまいましたが、最後まで、お読み頂きまして、本当に有難うございました。


今年は、皆様方にとって、より良い年でありますように、心から御祈り申し上げております。


感謝・合掌    


ジドニより


平成24年   正月 元旦


江戸時代風の木造長屋を間借りしている、質素な診療室の畳の上にあるパソコンから、送信させて頂きました。




ジ゛ドニ作


ひとすぢに 歩む 医の道 ひとすぢに 


登りつづけむ 雲を凌ぎて