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思考の行き着く先

SNSで目立ちたいわけではないけど、自分の思考をまとめる事で、何か人生の役に立てば良いと思い、始めてみます。
自分が何を考え、何を思って生きるのか、言語化する練習をしていきます。

ひかれる覚悟、と言いましても、ドン引きされるという引かれる、ではなく、轢かれる覚悟です。


今朝方、車を運転していたら、横断歩道のない一本道を、車両の通行があるかを確認すること無く、横断する男性を見ました。


こちらから目視は出来たけれど、物陰から出てきたのにも関わらず、こちらの存在を確認する素振りもないことに驚きました。

もし、こちらが気付かなくてブレーキを踏まなければ、そのまま轢いてしまっているタイミングでした。


歩行者がいれば、ブレーキを踏んで止まるのが当たり前ではあるのですが、

「もし、気付かなかったら」

「気付いても反応が間に合わなければ」

事故が起こってしまいます。


どうすれば防げるでしょうか。

それは、お互いに注意することです。

上記の状況で、もし車が止まれなくても、歩行者が車を認識して一瞬立ち止まっていれば事故にはなりません。

10秒違えば、結果は変わります。


もちろん、法的には轢いた方が悪いことになります。

では、轢いた方が悪いんだから、轢かれる側が注意しなくて良いのか?

そんなことはないと思います。

轢いた方が悪いんだから歩行者に譲るのが当たり前という態度で横断していて、車に轢かれて打ち所が悪くて亡くなってしまったら、どうするのでしょうか。

本人には保障も何もありません。

ただ、運転手にひとごろしの十字架を背負わせて、遺族に保障があるだけです。

それで良いのでしょうか。


大したケガでなくても、その後の現場検証や、病院に通院するなど、今まで通りの自分の生活を守ることは出来ません。

何かしらの変化があります。


もちろん車が全面的に悪い事故も存在します。

歩道に突っ込んだり、対向車線に突っ込んでいったり。

それは回避のしようがないかもしれませんが、ちょっとした注意で防げる事故も多いはずです。


いつもは人がいないのに、年に数回は人が歩いているということがあります。

それもブレーキを踏んで減速していなければ、そのまま吹き飛ばすようなタイミングで、です。

いつもはいないけど、もしかしたらいるかもしれない、という注意が大切です。

歩行者も、いつもは車が通らないけど、今日は通るかもしれない、という確認が大切です。


一瞬だけ注意すればいいのです。

その後の人生棒に振るくらいなら、10秒くらい、大したことありませんよね。

轢かれる覚悟があるのなら、全てを失う覚悟があるのなら、何も言いません。

ただ、轢いた側も、色んなモノを失います。


どちらが悪いという話ではなく、安全の為に、お互い出来ることをやるべきだと思います。