人様の生き方、優先順位の付け方に善悪良否はない。けれど、危険や不安を探して見つけて、だからイヤ、だからダメ、で、それで幸せになれるのですか? とは思う。

 

 

 

過日、豊橋市長定例記者会見において、〈神野新田町の「豊橋総合スポーツ公園B地区」で計画が一時停止している新野球場について、計画を再始動する方針〉が明らかにされました。

 

 

●変わる(変われる)人⎯⎯褒めてません

 

長坂氏に批判的だった人々はもちろん、氏のお仲間だった人達も、この「変節」ぶりには、相当ざわついています。

 

が、当のご本人は(安全な施設をつくるという意味において)「基本は変わってないもん」と涼しい顔であります。

 

 

●変わらない(変われない)人⎯⎯褒めてません

 

そんな中、“弁が立つ”ことにおいては市議会議員屈指だとされている、日本共産党豊橋市議団の斎藤ひろむ氏が、[X]にこんな投稿をしています。

 

 

 

 

 

 

前段の〈後付⋯ついでの理屈〉というところまでは、まあ、確かにそうですね、と私も思います。

 

しかしながら、後段には、「えーと?」です。

 

 

そして、周辺の道路や土地は地震のときは液状化の不安もあり、野球場自体は津波から逃れても、来る時、帰るときに地震と津波到来があったらどうなるのか。 

 

⎯⎯どうなるのかと言われましても・・・それはもう、臨海部にあっては、既存の、何処のどんな施設においても同じであって。

 

 

いまもサッカー場などがあると言うが「新たに多くの人を寄せる野球場つくること」に、懸念がある、と言ってるのです。

 

⎯⎯〈と言っているのです〉と言われましても・・・結局、今ある施設利用者の“いのち”については「何か言っても仕方ない」(何も言わない)というふうにしか聞こえないのだけれども。

 

 

●「上手いなあ」とは思うけれど・・・

 

日本共産党豊橋市議団と言えば、こんなものも目にしました。

 

 

 

 

市民のいのち・安全をおびやかす

海の近くへの野球場移転は見直しを!!

 

「東日本大震災もあったのに、なぜ市民のいのちを危険にさらすようなところにつくるのか」・・・

 

 

毎度のことではありますが、いや〜、感情に訴えますなあ。

 

 

野球場周辺が安全な避難場所とはいえません

 

として・・・

 

●液状化対策はメイン球場の一部だけ⋯周辺道路や園内は液状化。脱出困難でメイン球場に取り残されるのでは?

 

●暑さ対策、寒さ対策は? 夏は炎天下、厳冬期は寒風にさらされる屋外での避難が長時間に及ぶことも。

 

●野球場独自の災害備品の考えもいまのところなし。

 

●メイン球場以外の周辺の液状化対策は難しい⋯利用者の救出が困難になり、孤立化するおそれも。

 

なんて書いてます。

 

1番目と4番目が、ほぼ同じ趣旨の繰り返しになっているのはご愛嬌として、これらは、例えば津波タワーをつくるにしても付きまとう“不安”のはずで。

 

 

てか、そもそも、仮に「南海トラフの巨大地震で2.9mの津波」という状況であれば、そのとき、市内全域、安全なところはないし、孤立しないところもないでしょうに。

 

 

●詰めが甘い人―褒めてません

 

関連して、新しい豊橋のすがや竜氏は、こんなポストをしています。

 

 

 

 

添付画像の「申し入れ」書がこちら。

 

 

 

おや、「日本本共産党豊橋市議団」となってますね。

 

うん、まあ、間違いは誰にでもあります。にんげんだもの。そっとしておきましょう。

 

 

で、文中引用されている市民説明会における「不安や反対の声」ですが・・・

 

実は私、「説明会」とはどんなものかと、9月7日の会場に行ったんです。

 

「市民の命を軽視している」

「なぜ、あえて特定避難困難地域に野球場を移転するのか」

「液状化も心配なこの地域に野球場をつくるべきでない」

「津波に向かって避難するような場所に野球場を建てることが心配」

 

確かに、そういう声がありました。

 

ただね、それを、一体どちら方面の人が言っているのか、というのも、多くの人の気になるところでしょう。

 

 

●“自分ごと”と“他人ごと”と

 

この説明会においては、意見・質問をする場合、校区を言ってから、という約束ごとがありました。

 

で、反対の立場でこういった「不安」を言う人は・・・ええ、それはもう、見事に、吉田方・牟呂以外の人の方が多いという・・・

 

一方、賛成側では、地元でないのは同じであっても、施設を利用する可能性の高いスポーツ関係者の方が多く、やはり「そんなことより」という感じでしたね。

 

 

つまり、あまり関係のない他所の人が「安心・安全」を全面に押し立てている反面、実際にそこを使う可能性の高い人は、安全であるに越したことはないけれど、くらいのスタンスだったということです。

 

 

件の方針を伝える東愛知新聞の記事には、こんな一文がありました。

 

 一方、新球場の立地を巡り市民の賛否は大きく割れた。早期完成や新たな避難所の機能に期待する市民と、臨海部への立地や避難行動への懸念を示す市民とで考え方の溝は埋まらなかった。

 

 

 

そりゃ、両者の溝は埋まるはずもありません。

 

前者が、この計画を“自分ごと”として考えているのに対して、後者は、反対するために、種々諸々(たぶん)自分ごとではない「臨海部への立地や避難行動への懸念」を持ち出しているのですから。

 

 

もちろん、例えば「東日本大震災を経験した人」が、心の底から「いのちの大切さ」を訴えるのは分からないでもないです。

 

ですが、その「心配」も、行き過ぎれば、何もできなくなります。

 

というか、“反対の道具”として利用する人が必ず出てきます。

 

 

●「安全・安心」も、ある程度のところで

 

何であれ、立地・設計によって施設の危険度は違ってきます。

 

それを、できるだけ低くする努力が必要なのは、言うまでもありません。

 

 

しかしながら、「危険をゼロにする」「一人の命も失わない」は、ぶっちゃけ不可能です。

 

本気で目指したら「生きるのを止める」しかなくなります。

 

豊橋の内海に2.9mもの津波が押し寄せる、そういう地震がいつ起きるとしても、それでも安全な場所にしか行かない、安全な行動しかしない、そんな人はいないでしょう。

 

 

不安も、懸念も、ある程度のところで折り合いを付けていくしかありません。

 

生きるってそういうことでしょ、と私は思っています。

 

 

もちろん、その「ある程度」は、人によって違ってて良いのでしょうけれども。

 

 

 

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市が公開した、長坂氏“変節”の言い訳資料(?)。

 

 

資料1_新たな野球場の整備について.pdf( 478KB )

 

 

詳細を知りたい、という方はこちらを。

 

市民説明会でいただいた質問や意見

資料2_新たな野球場整備に関する説明会.pdf( 814KB )

 

学識者からいただいた意見

資料3_新たな野球場整備に対する学識者の意見.pdf( 746KB )

 

 

 

「このくらいで折り合いつけて行きましょう」ということだと思います。

 

良いことです。

 

 

でも、なおとクンがそれを言っちゃダメ。