「今後どうすべきか考えたい」⎯⎯住民投票の(おそらくはご本人の期待に反する)結果を受け、縷々書き連ねた挙げ句ソレですか・・・

 

 

地元紙東愛知新聞に「サロン席」という随時連載欄があります。

 

先日、愛知大学研究員の肩書で平野恵美子さんという方の随想(?)が掲載されました。

 

 

 豊橋新アリーナ建設の是非を問う住民投票が7月20日にあった。前々市長の時から尾を引くこの問題は、豊橋市民を二分し全国的にも注目を集めた。結果は賛成10万6157票、反対8万1654票で、賛成が反対を上回り、事業は継続されることとなった。さまざまな問題が棚上げ状態のままという感は否めないが、新アリーナが建設されるという前提で、今後どうすべきか考えたい。

 

 

 

「今後どうすべきか考えたい」⎯⎯ふむふむ、と読み始めた、までは良かったのですが・・・

 

直ぐに「何じゃこりゃ」と思い始め、しばらくして「今更それを?」となり、最後は「いつまでそれを?」となりました。

 

 

以下、小見出しごとに、順を追って見ていきましょう。

 

 

●ソレ(勝者による横暴不可)は言うまでもない

 

反対派との協力は不可欠

 

 まず、先の数字を割合で表すと、賛成6割弱、反対4割強である。これは公平に見て賛成派が圧勝というわけではなく、投票者の半数近くが反対したということになる。民主主義は多数派がやりたい放題にやっていいのではなく、少数派が多数派を監視し、行き過ぎた時はストッパーの役割を果たすという機能がなければならない。今回に限らず選挙の度に、多数派も少数派も、その自覚があるのかしばしば疑問に思う。

 

 全国的に見ると、成功したアリーナもあれば、失敗したアリーナもある。成功と失敗の要因はさまざまだが、失敗原因の一つに「地元住民の十分な理解が得られていなかった」というものがある。今回、反対派の中には気持ちを切り替えて建設に協力していく、という人も少なくないが、20年後に「それ見たことか」と言うのを待っているように見える人もいる。半数近い反対派に「敗者」として無視され排除されたと感じさせてはならない。むしろ反対派の意見をよく聞き、できるだけ事業に反映させることが新アリーナ成功のポイントであり、これまで反対派から支持を集めてきた市長の責務ではないだろうか。

 

 まだ工事も始まっていないのに「ノーサイド」と言うのは、一見公平なように見えて、実は強い者の側に利す。釈然としないが「子ども世代、孫世代に負担を残さないようないい事業となるようにしたい」という言葉に期待し、これをどう実現するのか見守りたい。

 

 

「民主主義は多数派がやりたい放題にやっていいのではなく」なんて、言うまでもありません。

 

というか・・・

 

先の市長選挙で得票率36%、すなわち、ご本人以外に投票した有権者が6割以上いたにも関わらず、たまたま当選したからとやりたい放題やっていたのは、他ならぬ長坂氏ではなかったですか? と問いたいですね。

 

そこのところに触れない、というのがもう・・・

 

結局、アナタご自身が、〈20年後に「それ見たことか」と〉言いたくて、こうやって種を蒔いているのではないですか?

 

 

仮に賛成と反対とが逆の結果だったとして・・・

 

事業継続派について〈「敗者」として無視され排除されたと感じさせてはならない〉なんてことを、アナタは書いたでしょうか?

 

〈「ノーサイド」と言うのは、一見公平なように見えて、実は強い者の側に利す〉というような、市長に対する苦言を、アナタは呈していたでしょうか?

 

 

「市長の責務」といった表現には、「反対派」をあっさり切って捨てた長坂氏への恨み節もあるようです。

 

ならば「見守りたい」なんてヌルい姿勢ではなく、もっと直接的にぶつかっていけば良いと思います。

 

後からでなく、今、これからについて、ご自身の責任において、具体的な提案・提言をしてください。

 

 

●今更ソレ(住民投票の宿痾)を?

 

未解決のまま残された課題

 

 「賛成」か「反対」かの2択に「○(マル)」を付ける今回の住民投票に違和感を感じた人も多かったようだ。有権者は事業のメリットとデメリットについて十分な説明を受けたといえるだろうか。そもそも投票の目的は「多目的屋内施設及び豊橋公園東側エリア整備・事業継続の賛否を問う」である。「豊橋公園の整備には賛成だが、アリーナ建設には反対」「諸問題が解決されるなら、アリーナ建設に賛成」など、単純化できない意見を多く聞いた。どちらの側も豊橋の街が活性化することを願っているのは間違いない。事前にもっと十分な議論が出来なかったのだろうかと悔やまれる。

 

 反対した人たちにその理由を聞くと「契約のプロセスが不透明」「周辺環境の悪化」などさまざまである。とりわけ周辺道路が両側とも一車線ずつしか無いため、深刻な渋滞が予想される。当初は自家用車の乗り入れを禁止する計画だったが、住民投票直前に事業者から「市役所の駐車場利用」「競輪場からシャトルバスで観客を輸送するパークアンドライド」の説明があり、参加者を困惑させた。これでは渋滞緩和にも、まちなかの活性化にもつながらない。

 

 

この行には、正直なところ、腹が立ちました。

 

言ってること自体は、まあ、そのとおりだとしても、住民投票の前に言うべきことではないですか?

 

 

というか、本来、単純化できない政策課題を、日々の暮らしに忙しい一般市民をして二者択一させるのが住民投票であり、ここでの指摘は、住民投票である以上避けられない問題点ばかりです。

 

論者さんが、もともと住民投票それ自体に反対、少なくとも懐疑的だった、というなら、まだ理解できます。

 

 

そうなのですか? 

 

違うでしょう。

 

 

これはもう、(お気に召さない)結果を以て(変えようのない過去の)経緯を問題にする、の仕草であり、それは、まさに「アリーナ反対派」がずっとやってきたことそのものです。

 

 

競輪場からのシャトルバス云々にしても、あくまでも選択肢を増やし、行き帰りの人波をバラけさせるための提案であり、それで全て解決しようという話ではありません。

 

こうやって、何か提言・提案が出る度にダメ出しして腐す、それもまた「反対派」がずっとやってきたことです。

 

 

●いつまでソレ(伐採はしばし待って)を?

 

無視できない樹木のクールアイランド効果

 

 個人的には豊橋公園の樹木の保全が最も気がかりだ。完成予想図を見ると、50本近い木が伐採されることになる。だが毎日とんでもない酷暑である。毎年、最高気温の記録は更新され、これから猛暑はますますひどくなっていくだろう。市民の健康増進、豊橋公園の貴重な生態系など、守りたい理由は多々あるが、今は樹木の蒸散作用による冷却効果を、大勢の人に認識してもらいたい。木陰があるのと無いのでは大違いだ。

 

 この猛暑で人々は外出を控え、経済活動にも悪影響を及ぼしているという。メディアでは毎日、ヒートアイランド問題にどう対処するか論じているが、公園の樹木を伐採すれば、都市の気温は間違いなく上がる。

 

 公園の価値については残念ながら今回、全て書き切れないが、決して軽視できない。市や事業者は豊橋公園を利用する市民や周辺住民に丁寧に説明し、可能な限り彼らの思いを尊重したアリーナ建設をしてほしい。そうすれば、反対派から協力する人も増えるだろう。木の伐採はしばし待ってもらいたい。

 

 

此処に至っては、ホント、「今更ソレを?」「いつまでソレを?」です。

 

 

樹木の蒸散作用による冷却効果?

 

用語はともかくとして、それを知らない人がいるとでも思っているのですか?

 

 

そういうアナタこそ、逆に「“自然”を舐めてませんか」と問いたいです。

 

あるいは「自分にとって都合の良い“自然”を欲しているだけですよね」と。

 

 

戸建てかマンションか知りませんが、ご自身のお住まいだって、草を刈り、木を切ったからこそ、其処に在るのではないですか?

 

始めから宅地だった土地などありません。道路等インフラも同様です。

 

山川草木、触れることなく、人の暮らしは有り得ないのです。

 

 

自分にとって必要なものであれば、木の伐採もやむなし。

 

けれど、自分にとって必要のないもののためならば、〈木の伐採はしばし待ってもらいたい〉と言う。

 

一体、どこまで身勝手なのでしょう。

 

 

アナタは、愛大構内の「緑」の維持に、どれだけの人が、どのように関わっているのか、深く考えているでしょうか。

 

人が手を入れなかったとき「自然」がどうなるか、公園のみならず、個々の家々なども観察してみたら良いと思います。

 

 

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何かね、住民投票後の(自分、賛成の立場で賛成多数だったけれども)、どこか腹立たしい、という気分が戻ってきました。

 

 

そうさせるような文章をしたためる愛知大学研究員さん。

 

アナタご自身は、結果がどうあれ受け入れるしかない、どちらになっても、「(自分なりに)できることを精一杯やっての結果なら仕方ない」というところまで、いわゆる「投票運動」をしたんですか?

 

そうではないからこそ、今になってなお、グダグダと管を巻いているのではないですか?

 

 

こんなポストしてる場合ですか。です。

 

 

 

 

●待ってるだけじゃ維持できない

 

私事ではありますが、ウチは狭いながらも庭があり、その樹木効果でエアコン無し生活をしています。

 

ですが、放っておけば、すぐに「自然」に飲み込まれます。

 

 

この6月7月、私自身、超微力ながら、住民投票日まで「どっちでもいい」の人達へと働きかけることに時間を費やし、ほとんど庭の手入れをできずにいました。

 

そしたら、もう、エライことになってます。

 

 

蝶々や蜻蛉は舞うけれどスズメバチは寄ってこない秘密の花園⎯⎯

 

そんな人にとって都合の良い「自然」が簡単に維持できるはずがありません。

 

 

桜の木には鳩が巣を作りました。

 

そしたら、落とし物だってあるんです。

 

 

 

オシマイ!!