世の中、いわゆる体制べったりの“御用学者”がたまにいます。同じように、マスメディアにとって便利な“迎合学者”もちょくちょくいるもので。

 

 

昨年末の振り返り、その2、です。

 

まずは、軽くジャブで。

 

 

●契約解除にも議決が必要!

 

 

(中日新聞12/27-27面)

 

 

 愛知県豊橋市の長坂尚登市長が契約解除に向けた手続きに入った多目的屋内施設(新アリーナ)計画で、市議会は26日、計画継続の賛否を問う住民投票条例案を否決した上で、契約解除にも議決が必要とする関係条例の改正案を可決、即日施行された。長坂市長は「法的な精査が必要だ」との認識を示した。

 

 

あれ? 「契約解除に向けた手続きに入った」ですか? 何やら、のっけからミスリードっぽい。

 

正確には「契約解除の申し入れを行い、契約解除に向けた協議を開始する旨の通知をしました」であって。

 

 

 

議会における質問への答えで「アリーナ計画の契約解除へ向けた事業者との協議申し入れでも、現時点で協議は始まっていないと明らかになった」という話だったはず。

 

 

 

ま、細かいことですし、字数の限られた新聞紙面ですし、良いのかな。

 

いや、良くはないでしょう。契約に沿った(!)解除手続きなのかどうか、というデリケートな問題とも絡んでますし。

 

 

ただ、この記事でもっと注目してほしいのは、ココでして。

 

 

●後房雄・愛知大学教授

 

 この条例改正について、愛知大の後房雄教授(政治学)は、市長に予算編成権がある点を強調。「今の契約を形式上残しても計画は進まない。ますます市長と議会の対立が深まるだろう」と述べ、議会側の選択に懐疑的な見方を示した。

 

 

えーと、愛知大学の後房雄教授、ですか。

 

予算編成権は市長にあるにしても、だからと言って議会が認めるはずもないであろう予算を組む、ということはある(アリ)でしょうか。

 

「今の契約を形式上残しても」って、いやいや、形式上も何も、市と業者とが正式に交わした、れっきとした契約ですよね。

 

それを、長坂氏が「公約に掲げて当選したから」と、先方にとっては「だから?」的な理由でもって「解除できる」「解除する」と勝手に言い張っているだけ、のように、私には見えるのですけれども。

 

そんな長坂氏の姿勢、態度をこそ疑ってくださいな、と思わずにいられません。

 

 

●「解決策は住民投票だけ」?

 

実はこの方、翌日の記事で、さらなるコメントが「後房雄・愛知大教授に聞く」という別枠で掲載されています。

 

 

(中日新聞12/28-20東三河版)

 

 

とりあえず、リードから。

 

豊橋市の長坂尚登市長が契約解除に向けた手続きに入った多目的屋内施設(新アリーナ)計画をめぐり、計画継続の賛否を問う住民投票条例案を否決する一方、契約解除には議決が必要になるよう条例を改正して閉会した26日の豊橋市議会。多数を占める計画推進派派はなぜ民意を問う選択を取りやめ、条例改正で契約解除を阻む道を選んだのか。

 

言い方! 「契約解除を阻む道を選んだ」って・・・契約というのは、本来、守るのが当たり前ですよね。

 

付け加えると、契約内に書かれている手続き(条件)に沿ってであれば「解除」でも、そうでなければ、単なる「契約不履行」「契約違反」と称するのが一般的であり、解除よりも、さらに多額の支出を覚悟しなければならないような・・・

 

 

いや、まあ、それは置いといて、後教授のコメントです。茶々入れときますね。

 

 

解決策 住民投票しかなかった 後房雄・愛知大教授に聞く
 地方自治に詳しい愛知大の後房雄教授(政治学)に、新アリーナ問題を巡る市議会の対応や今後の見通しを聞いた。
 
 -住民投票の機運が高まったが、結局は実施に至らなかった。
 推進派、反対派の双方にとって一番良い解決策は住民投票で、それ以外になかった。この問題に絞った民意を示してもらえる手法だからだ。
 
・・・言い切りますなあ。住民投票を「一番良い解決策」とするには、色々と必須の前提条件があると思うのだけれども。
 
 
 -推進派の提案で条例が改正され、契約解除に議会の議決が必要になった。
 契約解除の隙を与えないために、ということかもしれないが、予算案の編成は市長の権限。契約が形式上残っていても、工事が進んでいくかは分からない。
 
・・・形式上の契約って何? 契約が残っているなら、それに従って工事するに決まってるじゃないですか。中断している現在が異常なのです。その異常を強いているのが長坂氏です。
 
 
 -議会と市長の関係はどうなっていくか。
 ますます対立が激化するだろう。市政全般がまひしてしまう。新アリーナを造るにも市長の協力が必要で、造るための道筋を冷静に描いて手を打つべきだ。
 
・・・長坂氏こそが「冷静」になって、件の公約が無理筋・無責任だったと認めて撤回すれば済む話では?
 
 
 -今後、どのような動きを期待するか。
 条例改正で何かが解決したわけではない。感情をぶつけるだけでは見通しが立たない。市長も含め、お互いに納得できる環境で住民投票をやるのが一番。時間をかけ、双方で解決策を見いだしてほしい。

 

・・・条例改正で、議会解散のうえ計画中止派が多数議席を獲得する以外、契約解除の道はなくなりました。解除できないのです。

 

もちろん「お互いに納得できる環境」⎯⎯市長の側が、現在の整備・運用計画を中止した場合必要となる支出(契約解除費用、球場、武道館等の改修費用、などなど)をきちんと示してくれる⎯⎯なら、住民投票もアリだとは思いますが。

 

 

●けっこう饒舌・・・

 

ところで後教授、Facebookにもポストしてました。

 

これにも、茶々入れときます。

 

 

豊橋市の新アリーナ建設問題で、中日新聞にコメントしました。
 
プロバスケットチームの本拠地を兼ねて新アリーナを建設する計画ですが、前市長のもとで契約が締結され、工事が始まったところで、今年11月の市長選挙で反対派の市長が当選したわけです。
 
当然、新市長は契約解除を表明したわけですが、推進派の議会多数派はそれでもなんとか推進したいと。
 
・・・いや、当然ではないでしょう。そんな簡単に「解除」されたらたまったもんじゃない。
 
 
そこで、以前は反対派が提案しては議会で拒否されていた住民投票をやろうということで、今市議会に住民投票条例を提案しました。少数の推進派議員も住民投票条例を提案し、それらが一本化されると予想されていたところ(望ましい解決です)、議会最終日に、推進派が(負けるリスクをとりたくなかったのか)突然住民投票条例案を引っ込め、契約解除を議会の議決事項にする条例を可決してしまいました。
 
これで当面、契約解除が阻止できたとしても、反対を主張して当選した市長がいるかぎり、それで工事が進むはずもありません。
 
・・・市長が、無理筋・無責任な公約でした、と認めれば良いのです。
 
 
推進派が本当に建設したいのなら、ずっと住民投票を主張してきた反対派や市長との間で、(法的には拘束力のない)住民投票の結果は、お互いに最終結論と認めるという政治的契約を交わしたうえで住民投票をやり、民意の過半数の賛成を得て進めるしか方法はありません。
 
・・・住民投票をするためには、ただ「中止する」だけではなく、中止した場合の支出額、公園内施設整備に関する代案を、その費用を含めて示すことが必要です。
 
 
推進派も、反対派も、都合の良い時だけは民意に従い、都合の悪い時は従わないという態度では、民主主義で問題を解決することはできません。
 
・・・「民意」なあ、民意って何ですか、ですわ。
 
 
推進派の人たちが認識していないのは、日本の地方自治制度において、首長の権限がいかに圧倒的かということです。予算提案権の独占のほか、執行権(執行停止権限も含めて)も独占していますから。議会は拒否権だけはありますが、予算編成権がないので、何かを推進する権限はほとんどないのです。それを自覚して方針を考えないと、どんどん深みにはまります。
 
・・・ま、現実としてはそうかもしれないけれども、だからこそ、議会の権限を首長と対等に持っていこう、というのが、近年の方向性ではないのかな。ならば学者として、議会に強くあれ、と言うべきではないかな、と思うのだけれども。
 
 
権限の弱い側が勝負できるとすれば、リスクをとって住民投票を実施するしかありません。それも、法的には拘束力がないので、市長に結果に従うという言質をとっておく必要があります。市長と対立しながらこれがやれるわけがありません。

 

・・・「市長が強く市議会が弱い、それが現実。だから市議会側が折れろ」と言っているように聞こえるのは気のせい?

 

 

 

●政治学、行政学、公共政策論

 

ちなみに、後房雄教授というのは、こういう方です。

 

 

 

 

 

 

 

2015年10月6日に最終更新のブログがありました。

 

こちらのプロフィールで、上より以前の論文等、一覧が見られます。

 

 

 

いささか古いのですが、2009年10月31日に、こんなことを書いてました。

 

首長と議会とはチェック・アンド・バランスで緊張を保ちつつ自治の両輪として協働すべきだというような空疎な理想論を語る研究者が多いようですが、私は60年以上の経験から日本では二元代表制は機能しないという結論を明確に引き出し、制度改革に踏み切るべきだと考えています。

 

 

 

2009年11月01日に、その続き。

 

私が調べた限りでは、アメリカ占領軍が、民主化の一環として、戦前の中央集権体制の要としての官選知事(内務省官吏)を廃止するために首長公選制を導入し、さらに、それが占領終了後も変更されないように憲法(93条)にまで規定したということのようです。市町村は戦前は議院内閣制的な仕組みだったのですが、こうして市町村長もいっしょに直接公選になってしまったわけです。

逆に言えば、二元代表制が日本で機能するかどうかという点の検討がほとんどないまま導入されたと思われます。アメリカでは機能しているから日本でも問題ないだろうという程度だったのかもしれません。

 


 

他の記事や論文等を漁ったところ、どうやら後教授「日本で二元代表制は無理。だから、首長ではなく議会がもっと権限を持てるようにしよう」という考えをお持ちのようです。

 

何なら「首長公選を止めて議会で選ぶようにしよう」的なことも主張してます。

 

 

でも、だったら、何故に此度のことに関しては市議会側にばかり苦言を呈するのか、いささか理解に苦しむのだけれども。

 

立ち位置が、ちょっと、よく分からない人です。

 

 

●「現実関与型政治学者」

 

さらにちなみに、かつては、こんな出来事もあったようです。

 

 ただ、政治塾で自らを模範とさせるほど「河村スタイル」が確立しているわけでもない。市長就任直後の09年5月、河村氏は市長選の公約づくりに携わったメンバーを中心に11人からなる「経営アドバイザー」を発足させた。市政運営のご意見番として活用する構えだった。

 

 だが、わずか1カ月後にまとめ役だった後房雄(うしろ・ふさお)・名古屋大教授が辞任した。後氏は24日、朝日新聞の取材に「市役所改革への本気度を感じて引き受けたが、実際に改革しようとすると河村氏は及び腰で、結局は改革したいというよりも注目されたいだけだ」と正面から批判した。

 

 

 
何か、ますます、よく分からない人です。
 
 
豊橋の新アリーナ問題については、中日新聞自体が、どう伝えたら良いのか立ち位置が定まらず、いっそ住民投票で決めてくれたらラクなのに、という気配が(例の、署名13万人を超えた請願の後は特に)見えたりもして。
 
だからこそ「知り合い」の中から、何を置いても住民投票、と言ってくれそうな人にコメントを頼んだ、のかもしれません。
 
世の中、いろんな立ち位置の学者がいるのにね。