私の父方の祖父の姉=大伯母(おおおば)I子さん。
若いころは、東京の日本橋のお屋敷に住んでいて、専門学校に通うお嬢様でした。
病弱だったらしく、戦争で焼け出されて一家(祖父、祖母、大伯母、父、叔父、叔母、叔母)で伊豆に疎開し、その後、今の私の実家を購入し一家で越してきたそうです。
父と母が結婚する少し前に、I子さんはお嫁に行ったけれど戻ってきてしまい、東京で飯場の賄い等をして暮らしていました。
私は、I子さんに、孫のようにかわいがってもらいました。この辺では売ってないようなものを、東京で買ってきてもらったように記憶しています。
私が高校生になった頃、I子さんは、自分から役場に行って、公立の老人ホームへの入居を決めてきました。
I子さんの住所は私の家にありました。その時すでに祖父も祖母も、私の父も他界していたため、私の母が大伯母のめんどう(保証人?)をみることになりました。
元気な頃は、I子さんはひとりでバスや電車を乗り継いで私の家とホームを行き来していました。
私が車の免許を取ってからは、お盆やお正月などの外泊時の送迎は私の役目になりました。
片道1時間の送迎の車の中で、I子さんは
「もうこれっきり、来ないでおくれ。」
なんて、よく言ってきました。
「何言ってんの。ほんとは来てほしいくせに。だったら、来ないでおくれなんて言わないでよ。」
I子さんに対してずけずけ言う私は、いつもこう返していたのでした。
ホームに入って10年ほどして、I子さんは、物盗られ妄想のある認知症になりました。
物盗られの症状が出る少し前から、
「なんでもできる私は、ホームでは優等生。」と言っていました。
次に「園長が私(I子さん)のことを狙ってる。困っちゃう。」なんていう話をするようになりました。
それから、「同室の人が私のものを盗っていってしまう。」と。
実際は、ホームがある市の福祉展にいつも水彩画を出してもらっていたことや、何でも自分でできる私はホームの優等生であるとアピールしていたのです。でも、負けず嫌いで、都会育ちのI子さんは、ホームのお仲間をちょっと?見下していたところがあったようで、周りの方と衝突することもしばしばあったそうです。そんなI子さんは、当時、優等生ではなく問題児でした。
優しい園長さんのことが大好きだったI子さん。園長が狙ってるなんてありっこないことをいかにも本当のことのように、私や母に言ってきていました。
当時は2人部屋でした。同室の方は、穏やかで優しい方でした。
I子さんは絵を描く道具や服など、たくさんの荷物を持っていました。
何かがなくなった時、同室の方に物を盗られたと、大声で騒いでいたそうです。何も悪くない同室の方が本当に気の毒だったとホームから母に連絡がありました。
物盗られ妄想がだんだんひどくなってくると、部屋替えをしても一緒の部屋のなり手がいなくなってしまって、ホームとして、とても困ったそうです。同室になった人には、I子さんがどんなことを言っても、あなたがそんなことをする人じゃないってみんなわかってるって、こらえてもらっていたそうです。
ホームから母のところに電話がかかってくる頻度が多くなってきました。
母も私も、I子さんの様子を想像し、ホームのみなさんに申し訳なく思っていました。
ここまでくると、認知症だと私たちもわかりました。
それから体調を崩して、ホームのあるところからさらに遠くの場所にある病院に入院したこともあり、母は電車やバスを乗り継いで何度も病院に通ったりしていました。
バスがなくてタクシーを使ったりして、交通費やお見舞いなど、自分のお金をかなり遣ったと、あとになって母がこぼしていました。
そんな状態になって、もうそのホームでは面倒をみられないので、他のホームを探してほしいと言われてしまったのでした。
②へ続く