たこです。

先日、久しぶりにJazzのCDを聞きました。

 

カウント・ベイシー

「Count Basie & The Kansas City 7」

1962年3月録音(ニューヨーク)

 

 

シェリー・マン

「2 3 4」

1962年5月録音(ニューヨーク)

 

 

この2枚、演奏も最高、音質も良くてオーディオ的にも楽しめる。

 

たこも昔はレコードで持っていた。

録音時期はほぼ同じで場所がニューヨークとなっている。

音の感じからすると同じスタジオやと思う。

録音時はVerveレーベルやったらしいが、たこの持っているCDは2枚共impulse!レーベルになっている。

 

1962年はモノラル録音からステレオ録音へ移行が進み、幅を利かせ始めた頃や。

とはいえ、音像定位なんかは今と比べるとおもろいところがある。

特に「2 3 4」の方。

勿論、シェリー・マンのアルバムなので、録音でフューチャーされるのは当たり前やけど、実際に聴いてみると左側はシェリー・マンのドラムのみで、ピアノ、ベース、そしてコールマン・ホーキンスのテナーサックスまで、全部右側に配置される。

結果、音像が右と左にに分かれ、中央が空いてしまっている。

たことしては、ドラムを中央に定位させた方が良かったんやないかと思うねんけど、時代を感じるわ。

 

で、ええ音楽はいつ聞いてもええなあ、と思たときふと疑問が湧いた。

なんで何回も聴いている音楽を、CD買うてまでまた聴きたいと思うんやろう?

「ここのフレーズがええねん!」とかいうても、次の展開を覚えているので、何もわざわざ耳で聞く必要があるんやろか?

 

(たこさん、脳は記憶だけやなく、外部からの入力がないと満足でけへんのとちゃうか?)

 

なるほど、そういえばご飯かて味は分かってても、実際に食べへんと気が済まんしなあ。

 

(それはまた別の話やろ)

 

いや、案外つながる部分があるかもしれんで。

それはそうと、たこの場合音楽だけやなく、絵や落語も好きやねん。

落語は言葉だけなので、音楽や映画に比べるとさらにシンプルや。

ちなみにたこは「米朝全集」を持ってるで。

気に入った噺は完ぺきに覚えてるのに、同じ噺の同じくだりで同じように笑ろてしまうんや。

わかってるのに笑ろてしまうんや、何でやろう?

 

(たこさんは覚えてるつもりでも、実は覚えるそばから忘れていってるんやないか?ケっケっケっ)

 

たこはダチョウか!ちゃんと覚えてるわ!

気味の悪い笑い方せんといてや!

ただ不思議なんは落語は同じ噺でも聞きたいと思うけど、漫才はおもろくても何回も聞きたいと思わへんねん。

理由は不明やけど、タイムリーなネタが多いからかな?

 

音楽にしても絵画にしても、繰り返し見たり聴いたりしたくなるのは、或いは芸術性とか、そういったものと関係してくるのか?

なんか頭が混乱してきたわ。

結局、こんなことをいろいろ考えるのは、無駄やということが分かったので、今日はこの辺にしておきたいと思います。

 

(やっぱりたこさんの頭はダチョウ並みでしたね、ケっケっケっ)

 

ところで、昨日の茨木市駅前の様子。

まだ時間が早いのに、ほとんど人がいないので寂しい感じがする、みんな何処へ行ったんや?

万博か・・・?