勉強・研究していて一番今大変だな、と思うのが、

ダンナがいて子供がいると、

どうしても勉強できる時間が細切れだということ。


日本での受験の際には、

お風呂に入る15分でもムダにしないと言っては

「風呂で覚える英単語」みたいな本をお風呂で読んでみたり、

通学時間を有効に使えということで、

「歴史丸暗記」みたいな本を電車の中で眺めてみたりしました。


覚えているのが、

「1日の間に5分、10分といった細切れの時間がたくさんある。

それを集めたら、立派に1時間とか2時間とか

時間が確保できる!」という、

確か某予備校講師の話でしたが、

この作戦は、日本の大学受験だから通用するのではないか、

と、今日ふと思う。


現在の研究は、

覚えることなんて何もない。

研究しているうちに必然と忘れないことはたくさんあるけれど、

それを「覚えよう」なんてことは

一度もやったことがない。


こういう考え方と、ああいう考え方。

でも、そういう考え方を考慮に入れると、

こういう考え方は成り立たないから、

ああいう考え方が正しいのかな、とか、

つまり、「考える」ことである。


「考える」ことに慣れていないと、

何かを読む・聞く、ということから、

「考える」にいたるまで、

結構時間もかかるし、

意識的に「考える」姿勢に入っていかないといけない。

その代わり、一度「入って」しまうと、

それこそ松田聖子さんの再婚(今回よりひとつ前の)のときではないけれど、

「びびびっと来る」ものがあって、

その脳内に走る電気みたいなものを消すのには

また結構時間がかかったりします。


だから、5分の空き時間が12回あれば

1時間になるか、というと、

少なくとも私の場合、今のところ絶対にならない。


もしかすると、その「考える」姿勢に入るまでの時間とか、

「考える」電気を消す時間とかは、

丸暗記の受験体制をくぐってきた代償か、と思うのですが、

どうでしょう。