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井上 昭雄のブログ

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2000年の初夏、毎週のように土地探しとモデルハウスの見学に明け暮れた。土地は決まったが、どこのハウスメーカーで建てるかも決めかねていた。そんな、2000年7月の連休、滋賀県に帰省することにした。

前年、1999年の10月に、私は父を亡くしており、故郷の滋賀には年老いた母ひとりとなっていた。その年は、5月の連休にも帰省したのだが、できる限り帰るようにと心がけていた。いつものパターンであるが、渋滞が嫌いな私は、金曜の夜中に柏を出て、明け方に滋賀に着くようにしている。ただただ、眠気との戦いなのである。

そして、帰りは午前中に首都高に入るのがベストであるが、朝遅くなってしまい、八王子に入ったのが13時ごろ。首都高は既に渋滞。都内に入るのがうんざりしてしまった。こんな時、私は高速を降りてしまう。結局、失敗となることが多いのだが、やはり渋滞は耐えられない。少しでも動いている方がいい。

八王子インターをおりて、国道16号を川越方面に行くことにした。途中、箱根ヶ崎を過ぎたあたりで、ふと昔のことを思い出した。結婚した直後は所沢のアパートだった。
「行ってみよう。二人で始めた、アパートに。今でもあるだろうか?」
私は、入間に入る手前の交差点で、ハンドルを右に切った。西武池袋線の狭山ヶ丘駅近くに、そのアパートはある。私が、結婚前に駅前の不動産屋に行って、選んだアパート。

1981年4月のことだった。家賃は、3万5千円。就職したばかりの私には、これでもキツかった。初任給は115,000円(税込み)だった。これでよく結婚したもんだ。

もう、20年も昔のアパートのことだ。建て替えられているに決まっているだろう。なくなっていても、それは当然のことだ。そのままで、あるわけはない。不安に思いながら、踏み切りをわたり、細い道をまがってみた。

あった。そのままの姿で、アパートはあった。
私たちが始めた、最初の一歩。ここから、はじめたんだ。

会社から帰ると、鉄の階段を上り、廊下の奥の扉を開けた。
当時、私は23歳。妻は、22歳だった。玄関扉を開けると、小さなキッチン、その奥に四畳半、六畳の2DK。バスタブは小さく、膝を抱えて入らねばならなかった。エアコンもなく、夏は寝苦しかった。でも、決してつらくはなかった。毎日、アパートに帰るのが嬉しかったのだ。

そして、ここからいち早く脱出して、マンションに住むのが二人の夢となった。原点はあの所沢のアパートにあった。とにかく、もっといい暮らしをしたかった。