彼と彼女。

本人たち曰く、その関係はちょっと特別なものらしい。

何事も突っ走りがちな彼は、ある日、私にこう問いかけてきた。

自分は今まで、彼女を自らの手で幸せにしてやりたいと、いつもそう考えてきた。

しかし、彼女は本当にそれを望んでいるのか。

その答えが、どうしても知りたいと言う。


彼と彼女はお互いの家庭を持ち、別々に暮らしている。

しかしその関係は決して遊びではなく、むしろ愛だけを比較すれば他のどんなカップルよりも純粋と言えるだろう。

ただ如何せん、その理屈は世の中に受け容れてもらえない。

それが彼を悩ませる理由の一つだと言うのだ。

彼は言った。

本当の幸せを追求するならば、やはり二人が一緒になるのが望ましいのではないか。

つまりは、一緒に暮らすこと。

それを自分の最大の目標にしたい、と。

もちろんこれに異論を挟む余地はない。

けれども、本当の幸せとは何なのか。

私は逆に問いかけてみた。

本当の幸せとは、お互いを想い続けること。

これに尽きる。

彼はそう答えた。

ならば今はどうか。

幸せとは言えないのか。

私の問いに対して、彼はこう言った。

今はすごく幸せだ。

彼女とは、お互いの気持ちがしっかりとつながっている。

離れていても、メールや電話、チャットなどでいつも一緒にいられる。

もちろん寂しい時だってあるが、たまに逢って心から愛し合えば、すごく満たされた気分になるのだ、と。


彼は続けた。

自分自身拘っているのは、彼女を裏切りたくないという強い想いなのだ。

もしこんな関係をずっと続けていたら、それが彼女の気持ちを裏切ることにならないだろうか。

確かに今の彼女は何不自由のない暮らしをしているようだ。

しかしその現状に自分まで満足していたら、ただの卑怯者になってしまう。

自分にとって彼女は、都合の良い浮気相手ではない。

だからそれを証明するために、いつか彼女をこの手で幸せにしてやりたいのだ、と。

私は静かに頷きながら、諭すように言った。

君は卑怯者なんかじゃない。

そこまでの愛情があるなら、少なくとも彼女はそう思うだろう。

しかし肝心の幸せについてはどうか。

彼女が君との暮らしを今すぐに望んでいるのならともかく、もしそうでないなら、余計なプレッシャーを与え続けるのは逆に苦しめることにならないか。

彼は押し黙った。


他人から見ていびつなカタチでも、それが二人にとって大切に思えるなら、それでいいじゃないか。

自信と誇りを持って、そのいびつなカタチを育てていったらいい。

重要なのはカタチではなく、その中身なのだから。

私の言葉を遮るように、彼は力強く言った。

わかった。

これからは彼女と二人で、どこにも負けない輝きを放つように育てていきたい。

確かに自分は今とても幸せで、恐らく彼女も同じだろう。

それを誇りに、いつまでもずっと彼女を愛していこうと思う。

彼はそう言って、にっこり微笑んだ。


もしこの流れで人生を終えたとしても、もしこの先彼女と一緒になれなかったとしても、二人の愛情には一点の曇りだってないだろう。

とにかく今は焦らずに、ゆっくりと彼女を愛してやればいい。

そしていつかその機会が訪れたら、その時は堂々と彼女を迎え入れてやったらいい。

答えを急ぐ必要などないのだ。

何故なら、一番大切なのは二人が幸せであること。

愛のカタチなんてやつは、後でいくらでも修正できるのだから。