秋田市へ引っ越し、私も娘へも酷いイジメにあいました。

娘は当時、2学年位下の学年ほどの身長。11月生まれというのも、影響したのか、1年生でしたが、非常に幼く、でも活発な子でした。転校して、間も無くこんな事がありました。
担任の男性教諭~みんなに、クイズです。◯◯さんは、何歳でしょう?
答えは、うるさいです。

他の子に聞きました。
確かに、娘はおしゃべりであったろうとは思います。が、担任の先生がホームルームの時間にそんな事を言ったのです。
その事実を知ったのは、だいぶ後になってからでした。
私の実妹夫婦も小学校の教諭であり、親が学校に何かを言うのは、躊躇われ、黙って居ました。
ある日、その担任から電話がきました。
内容は、うちの娘が落ちていた手袋を側溝に捨てました。と、いう事でした。
驚いて、娘を連れて現場へ行きました。
側溝に捨てたのは、使い古しの軍手でした。
道路に落ちていた物を捨てたようです。
でも、側溝に捨てるのは、良くないので、外れない網の間から必死に菜箸を入れて取りました。もちろん、娘と一緒にです。

その後に、うるさい 事件を知ったのですが。何だかとても違和感を覚えました。
でも、我慢して居たら、春に担任が変わるかも。転校自体が9月だったので。

学年が変わると、その担任は小学校の教諭を辞めました。中学の教諭になったらしいです。次の担任に期待をしました。
また。。。
国語の授業中。音読で娘のイントネーションが可笑しいと、ちゃんと読めるまで、ずっと読み直しをさせられました。
正直、福島を経由して、転校したのでなまっていたかも知れません。しかし、主人はずっと話す仕事をしていましたし、いわゆる標準語でした。主人いわく、担任の先生がかなりなまっているらしかったです。
その地域のなまりに、直して話しなさいという事のようでした。
さすがに、主人も担任に抗議に行きました。
私は、そこまで言われても、学校に苦情を言うことに、抵抗がありました。
でも、今にして思えば、早く娘を護るべきでした。
すでに、娘は激しいイジメにあっていたのですから。
私は、実母に、いじめる人が可哀想な人なんだから、何を言われても我慢しなさい。と言われて育ちました。
娘にも、そう言って育ててしまいました。
とりあえず、自分が悪い事にして、謝ると。

何年か後には、
嫌なことは、嫌だとハッキリ言わないと。と考えが変わりましたが、その当時は、受け身な考え方でした。
本当に娘に、申しわけない事をしてしまったと思っています。
優しいと、何でも言いなりになる、とは違うという事を教えてあげられませんでした。
まして、一人っ子なので私の考え方の影響をモロに受けてしまったのかも知れません。

週末には、一週間の記憶が無いという事も起き始めました。
寒い地域なので、室内で遊ぶことが多く、福島の自宅のローンもあったので、日中働きに出て私が留守な我が家は同級生の溜まり場と化していました。
帰宅すると、お菓子が全滅。飲み物も。
グチャグチャに汚れていました。
娘に聞くと。断れないと。。。

じゃ、ママのせいにしていいから、ママが具合悪くて家では、遊べないって明日は断ってみて

翌日、帰宅すると綺麗でした。娘は、その頃から料理が好きだったので、自分でサラダのドレッシングを作ったりして、待っていました。少しホッとしました。

更に翌日は、運動会でした

その学校は、午前中のみ運動会で午後は給食という、何とも寂しい感じのする地域でした
父兄が参加する、奉仕活動なども一切無い地域でした。運動会も競争する競技は一つもありません。

私はもちろん、観に行きましたが、あまり父兄が居ない事に大変驚きました。イメージ的に、お弁当を持ち、シートを拡げてカメラを持って。。。だったので。

すると、娘のクラスメイトの女の子が近寄ってきました。
私を見つけると、ねぇ、◯◯ちゃんのお母さん。昨日具合悪いと聞いたよ。どうして今日観に来てるの?

あまりにビックリしてすぐに言葉が出ませんでした。

娘は、ひょっとしたら、かなり大変かもしれない。背筋が凍りつきました。

結局1年生の秋から4年生の終わりまで秋田市で過ごしました。

私も、娘も病気になり、すっかり元気を失って、逃げるように千葉に引っ越しました。主人は申し訳なかったのですが、2人でひっこしてしまいました。