既に人間を除いて他の万物は廻りの展開に生は従順に軸として果てしなく限りなく自由として世代を遥かから繋げているが、同じ眼前でも大自然に本能を頼りに充実に生きる生き物は確かな存在を示す。つまり生に対しての躍動だが人々が大自然に心を移しその心に安堵と癒しを覚えるのは小宇宙である確かな証でまた地球に経ってきたもう一つの証でもあるがこの重要を尊厳として分からなければ人は生を望めなくまた人生を生きれない
。人間の本質はこれまで言ってきたが浄化できない身体は素直に道理の認識が運び生きれなくこれほど厄介なものはないが特に影響は天体も含めて変化は人間を変える大きな力があり、人はその力によって少なくとも此れまで二千年余り時が経ち今だ進化していない。しかも近代に入ってから今や倫理と唱えても所詮偽善は拝金主義によって権力は人を貪り内に潜む鬼はそれぞれ認める同意に罪悪感と認めない罪悪感とが日常茶飯事に出来事を表すが光と影の調和は既に影の闇の力によって光は失われた事にそれぞれが生を買い勝手気ままに軽く生きる。その結果は浄化できない人間にとって感覚に満ちた喜びとなるが寧ろ人間の心は破壊に近く謀反は鬼であればこそ出来る業で言って見れば人はこの鬼の業を自身として自らを頼りそれが影響による闇の呪縛によって結果的に食の貪りに物を買ったり売ったり捨てたりまた求めるという罪悪感は地球に無視した社会常識の状態の中で悪循環とするがこれで幸福になりたいは無理というもの。はっきり言って生命は限りがあればこそその時間に一生にして懸命に生きるがへその尾と同じでその渦は宇宙全体に繋がっており無理に切ることはないが今も躍動する宇宙は小宇宙も躍動しそして地球に恵まれ育まれ人はその中で生きることの幸不幸に感謝を学ぶことが人間に与えられた生として意味がある。しかも重く・・・ところがこうして地球の状況を見ていると人は自分の生き方に満足してるせいか思考発達より眼前に執着の証として常に”足りる”を知らないがむろん地球に深く経つということは世代の継続ではないが生きる為の充実性、必要性でありそれが目的と課題でその為に学ぶ訳だが人生時間を与えない不道理な社会ほど人間の質の低下は多くまたそれに合わせようと合理的と都合はそれぞれの生命をも短縮するは一対何のための学問かそれがこれまでの答えである。