ゴジラという映画ある。それは巨大な怪獣が海からやってくるというものである(怪獣の種類によって差異在り)。ただしそのゴジラは作品によって変わってくる。今回はそのゴジラという怪獣から、作品と画作りについて偏見込みで見ていきたいと思う。
さて、そのゴジラは初めはただ日本に上陸し、市街地を破壊し弄んで、最後はある博士が作った機械?のようなものでゴジラを倒して終わりである。あってもなくてもいい人間関係のシーンを除けばそれでいい。有害鳥獣駆除である。
さてそれ以降のゴジラと言うと、ゴジラ対の形式をとり、やがては恐怖の存在より畏怖すべき存在となるといえよう。日本の作品に多い自然絶対主義のようなものである。人の住む地を破壊するゴジラが「敵」ではないのである。もっともゴジラが人気になったり、都市建造物は破壊されたほうが有名になるので破壊の限りを尽くしたほうがよかったりというのはあるが。おかげでゴジラが警察もののドラマの警察官になってしまっている。しかし人気になったほうがいいのが映画、同じことを繰り返しても面白ければいいのは確かだとは思う。ガチガチのSFでは好き嫌いが分かれるだろう。
以降も同じではあろう。ゴジラは倒せない存在である。神なのである。倒してしまってはつまらないということもあろうが、人のほうが下位存在でなくてはならない掟でもあったかは知らない。おかげか海外版のゴジラも描き方が変わったようだ。
では、この怪獣神ゴジラ、人間が倒せる存在に戻すとどうなるか。もちろん「これではない」という違和感であふれるだろう。もう巨大怪獣はそれで固定されているのである。挙句の果てには理解できる相手だろうとさえ思う。出てくるには何かあるのだろうと。その上、そうでなければ話が持たない。ミサイルと戦艦(出てくれば)の艦砲射撃の20分で終わってしまう。それで面白いという人もいるかもしれないが、稀だろう。
全くまとまってないが、現代において、映画が見られないと言われる中で怪獣映画などなおさら見られない。近年の邦画ゴジラもあったが、ネタとしては良かったのだろうと思う。ただゴジラである必要はない。結局は名前を借りてるだけとも言える。それは初期ゴジラ以降のすべてにおいても言える。
話を作るのは難しいし、他人が面白いと感じるものを作るのはなおさら難しい。そして意味のあるものを作るのは簡単でないし、面白くて意味のあるものはできないに近い。と、そう感じる。
……なんか中身がめちゃくちゃだな