【御法門】「 今度(このたび)は おもひさだめつ のりのため しぬるいのちは ひとつよりなし 」 ⇨ ⇨ この御法門は平成24年4月8日圓妙寺お会式の御法門と同じです。よろしければH24.4.8分をご確認下さい。【大意】「 たった一度(いちど)の取(と)りかえしのきかぬ生命(いのち)なればこそ、生(い)き甲斐(がい)を全(まっと)うして臨終(りんじゅう)を迎(むか)えさせていただく。そのためには信心第一(しんじんだいいち)、妙法弘通一筋 《(みょうほうぐづうひとすじ=妙法の法華経を弘める活動を一筋に)》 に思(おも)い定(さだ)め決定(けつじょう)して励(はげ)ませていただくことが肝心(かんじん)、と御指南(ごしなん)くだされた御教歌(ごきょうか)です。」【お書添えの御指南】「 今度(このたび)の一生(いっしょう)、みのりの御為(おんため)にすてゝ(て)こそ如説抄御指南(にょせつしょうごしなん)の御本意(ごほんに)なれ 」 〇人の生き方に凡(およ)そ二通(ふたとおり)りあり➡ ①凡夫人間(ぼんぶにんげん)として六道 《(ろくどう=①地獄界(じごくかい)、②餓鬼界(がきかい)、③畜生界(ちくしょうかい)、④修羅界(しゅらかい)、⑤人間界(にんげんかい)、⑥天井界(てんじょうかい))》 の迷(まよ)いを往来(おうらい)して終(お)わる一生 ②菩薩人間(ぼさつにんげん)(佛立菩薩)として仏道(ぶつどう)に精進(しょうじん)、人助(ひとだす)けの如来使(にょらいつかい)としての生き方 〇佛立菩薩としての生き甲斐は菩薩としての生き方、法華経(ほけきょう)の説(と)く人間の理想像(りそうぞう)、そのお手本(てほん)はお祖師 《(そし=日蓮大聖の事)》 さま。 開導聖人(かいどうしょうにん)は『 思定 』 の二字につき五重のわけがらがあると御指南。第一重⇒わが心に起(お)こる怠(なま)け心(こころ)に負(ま)けず、外(そと)より来(きた)る悪友(あくゆう)の誘惑(ゆうわく)に負けぬと思い定めよ。 第二重⇒今度の一生は無量劫(むりょうこう)よりの大地微塵(だいちみじん)の死(し)を捨てて御法の為に命終(いのちおわ)わらんと思い定めよ。 第三重⇒身(み)かくし聞(きき)かくしという与同罪(よどうざい)の謗法 《(ほうぼう=法華経を信じず、そしり邪魔をし、攻撃する事)》 はせぬと思い定めよ。 第四重⇒御本尊(ごほんぞん)の外(ほか)に心をうごかさぬと思い定めよ。 第五重⇒信(しん)は近道(ちかみち)、解(げ)は遠道(とおみち)である。故(ゆえ)に解を捨(す)てて信を取ると思い定めよ。  ➡️ 日蓮聖人はご弘通をしていく過程(かてい)で時(とき)の権力者(けんりょくしゃ)や他宗旨(たしゅうし)の狂信的(きょうしんてき)な人々(ひとびと)から襲撃(しゅうげき)を受(う)けて、命(いのち)の危険(きけん)に及(およ)ぶ事が幾度(いくど)も有りました。その時々に聖人を守ろうとして、御弟子やご信者の方々が、大勢命を落とされています。日蓮聖人を守ろうとして亡くなられた方々の事を思って命の使い方を詠まれています。そのうえで、自分は何の為に命を永(なが)らえる事が出来たのか?と。そして自分の使命は、佛さまの教えを弘めるためだと感得(かんとく)されたそうです。