塾や習い事に通っていたお陰もあり、小学校の4年生までは、勉強もできて、習字もピアノもそれなりに上手いと、自分では思っていました。クラスでも学級委員のようなことを立候補したり。
5年生になり、クラス替えをすると私より美人で勉強もできるし運動神経もばっちり、先生から寵愛される子と同じクラスに。
丁度そのころ、塾では中学受験に向けて回数も授業数も増え、毎週テストを受けに行き、それによってクラスが上下するようになりました。よく出来た時はクラスは上がるし、難しかった時は容赦なくクラスが下がる。
5年生ながらもその状況に疲れ始めました。
そして、辞めることにしました。
母はとても残念がって、何度か考え直すように言いましたが、気持ちが戻ることはありませんでした。
また、習っていたモダンバレエでは、意地悪な子と一緒にいるのが苦痛になり休み始め、発表会1ヶ月ほど前に辞めることに。
6年生の時には、隣の家からピアノの音がうるさいと何度か怒鳴られ、それがきっかけで4歳から続けていたピアノを辞めることに。
母は色々と私が辞めていくのをどう思ったんだろう。
私は少し開放された気分になっていました。
父とのことも中3の時に変化がありました。
父が姉に「20歳になったら出て行け!!!」
実際、姉は高校卒業と共に隣のアパート(
その後、ターゲットは私になりました。
姉のようになりたくない一方で、
小学校高学年から中学生の頃には、
中3の時、母に反抗していた私を見ていた父が「
「もうこんな思いをするのは絶対に嫌だ!!!」
もうこんな思いをしないためには、
「口を利かない」
これだと思いました。
それまでは、何日か経てば普通に話したりしていましたが
もう口を利くもんか、そうすればぶたれることももうない。
本気でそう思い、実行することにしました。
それからは常に父を無視しました。
こちらから話しかけることはありません。
視界に入るのすら嫌だったので、食事の時に父がいたら、
時には視界に入るのが本当に嫌だったので、
私が20歳の頃、伯父が体調を崩し入院、1人暮らしだったため、
伯父は普通の良い人でしたので、
思えば父は曲がった愛情を子どもたちに与えていたのだと思います
もっと穏やかな言葉で私たちを叱ってくれたらよかったのに、
だから20年口をきいていませんでした。
私も未熟だったのだろうけど、
父は不器用だったんだな。
母はお世話焼きなので、なんでもやってくれていました。
私も母がやってくれてるからいいやと、
実家では感謝の気持ちを伝える文化がなかった。
やって貰って当たり前みたいな。
みんなに気恥ずかしさもあったのでしょうが、
ありがとうの言葉があふれる家だったら、