聴衆解釈 | 安田コウヘイの能動的ロック発明記

安田コウヘイの能動的ロック発明記

Anabant Fulls
Vo.Gt 安田コウヘイの日記。コラム。ブログ。





高校生のころ、交通費をケチり
約1時間をかけて、自転車で登校していた。往復2時間、その時間は僕にとって、音楽を聴く為の最高の猶予だった。

モダンな音楽を聴き漁ったあげく
クラシックロックを愛聴し始めたのもこの頃で、音楽に対する基本的な水準が出来たのは、高校3年間の登下校中だったとも言える。





当時好きだった女の子が、昼休みに僕の嫌いな男子とバトミントンをしているのを目撃した日の帰り道は
ハードコア→Radiohead→ハードコア→Travis→ハードコアといったカオスティックなプレイリストを聴いていた記憶がある。

余談だか、その当時嫌いだった男子がこのブログを見れる状況にある為、少し気まずい。ごめんなさい。





今でも、僕は通勤に1時間弱を費やしている。さすがにもう自転車ではないけど、音楽を聴く、という行為自体は変わっていない。

『このアルバムをきちんと通して聴きたいから、今日はすこし遠回りしよう』なんて気恥ずかしい事が、今でもある。

僕がいちリスナーであるかぎり
そうやって、聴衆解釈ができる。

音楽は人生を少しでも豊かにできるアイテムで、人間にとって一番身近なツールだ。
作曲者、作詞者の信念や主張は、聴く人間の耳を通して、その人間の意識や思想に濾過されながら、ようやく伝わる。

曲なんて、聴いた人間のものになることが正しいのだ。
書いた人間が、聴かせる状況を全て選べる訳じゃない。




僕が書いた音楽を、誰かは、どう聴いてるだろう。あの頃の自分のように、登下校中に聴いてるような奴がいたら、抱きしめてやりたい。笑
聴いてくれてるのが誰だって、喜びしかないけどね。

僕らの曲なんて、勝手に解釈して、勝手に聴いてくれ。
自分の書いた曲が、もっともっと、たくさんの誰かの曲になるように、やり続けよう。