世田谷区の南、昔の玉川村。
言わずもがな、大河多摩川の左岸にあたる地域です。
「多摩川」と「玉川」、字が違うじゃないの。
いや、これは固有名詞でありまして、「三多摩」とか東急多摩川線は「多摩」ということになります。
脚も少し良くなり、今日はこの辺を歩いてみたいと思います。
まずは等々力(とどろき)へ。
台地が多摩川の支流に侵食されたと言われる等々力渓谷にほど近いところ。
シンガーソングライター大和姫呂未さんの野外撮影会の1部9:30に行くために千葉から始発バスに乗って行きました(早すぎたけれどね)。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170827/00/aex22254/11/b5/j/o0275036714013906174.jpg?caw=800)
記憶に新しい豪雨落雷の花火大会の翌日8月20日の午前はなんとか降雨はないものの気温は26.6~23.8℃くらい(小公園の温度計)で、たぶん暑さはまた厳しくなりそうです。
渓谷へは10メートルの高低差があるそうで、できれば降りたくないなあ。でもそれじゃあ何のために来たかわからないなあ。
確か等々力不動堂の方に傾斜が緩いところがあったはず、と、ひろみさんと一緒にとりあえずそっちの方へなんの変哲もない住宅街をほっつき歩きます。
環状八号線の向こうに良さそうなところが見つかったので行ってみると、ずっと歩いてもまるで川にたどりつかないのです。
昨日の雨で石段はすべりそうで、小枝がたくさん落ちています。
持ち時間は1時間。もう半分くらい過ぎています。そろそろ戻らないと。
不毛といえば不毛ですがこんな住宅街ウォーキングもいいじゃないですか。
日頃無口な私ですが撮影会のたび写真撮らずにひろみさんとしゃべってばかりいるのです。
撮影会が終わって時間たっぷり。古いところ巡りが大好きなので、ずっと来ていなかった数か所を回ってみましょうか、皆さんには全然面白くないでしょうけれど。
【野毛大塚古墳】
先の等々力渓谷と並んで私が小学生の頃の遠足コースでした(私、元世田谷人です)。
小学生男児は古墳を駆け上がり駆け降り、古代の遺構と無関係の狼藉しだいでしたが、今では規制もされて、下の野球場の試合を斜面に腰かけ観戦する子供たちも遠慮がちのようです。
古墳の高さは約10メートル、等々力渓谷の高さと同じくらい。
昔は環状八号線からよく見えていましたが、だいぶ建て込んでしまいずいぶん奥まった位置になってしまいました。
説明板を見てみますと、前方後円墳と記されています。
永らく大塚「円墳」ととらえていたのでこれは意外な発見です。
どうもここが前方部分らしい。
5世紀前半、中期古墳時代1600年前の遺跡、あの仁徳天皇に近い「いにしえ」の時代。
【覚願寺】
第三京浜をまたぐ長大な歩道橋を渡り「上野毛」に至ります。
40年以上兄が住んでいる街。
誰もそうかと思いますが今では法事で会うくらいで遊びに来ることもなくなりましたが、以前あった社宅の向かいのお寺。
境内横が幼稚園になっているごく普通のお寺ですが、文禄三年(1594)までに創立された真言宗のお寺です。
豊臣秀吉の治世から続く古刹は静かな住宅地に息づいています。
次に行善寺へ行くのですがずいぶん遠かった。
右に環状八号線、左は多摩川に落ちる崖道なので意外と通る道が限られます。
街区表示を頼りに歩を進めます。街区はだいたい道に囲まれたところが「番」なのですが、ここら辺1軒がでっかくてなかなか進んだという気にならないのです。
【行善寺】
浄土宗。建立は覚願寺より古い永禄年間(1558~1569)、織田信長が上げ潮だった頃。
もっとも当時は坂東の最果て、中央の動向とは無縁の地だったでしょうが。
寺域は台地の突端にありまして、二子玉川から川崎の「山」まで一望できる場所です。
崖下に東急田園都市線が走っています。
この電車は隣の二子玉川では高架線になりますので、その高低差がよくわかります。
例えて言えば渋谷の銀座線のイメージでしょうか。
【三又の檜(ひのき)】
行善寺境内にそびえる大樹。
一般的に杉や檜はとにかくまっすぐ直立で、それゆえ古来より建材などに重用されてきたものです。
ところがこの樹はご覧のとおりの姿です。
区の名木に指定されている貴重な保存樹木なのですが、材としては2流の安値になるのでしょう。
そんな例、他の世界にもありそうですね。
山門側からは三又ですが反対側から見ると四又です。
紅と白のサルスベリを眺め行灯坂を降りて二子玉川へ。
まあここも人が多いですね、まだ陽は高い。たぶん雷雨は大丈夫そうです。
暑いさなかの2時間半の散歩、地下鉄で帰路につきましょうか。