6月初旬の日曜日、もうすぐ梅雨入りという予測なのに「ど」快晴、
ある事情があって千駄ヶ谷へ行きました。
事情といってもそれほどの事情ではなくシンガーソングライター大和姫呂未さんの撮影会に赴いたのです。
途中いくつかのイベントがあったようですがなんとなく忙しくなかなか参加するに能わず、3か月くらいご無沙汰していました。
午前中の部でしたので終えたあと少し散歩でもしようかな、天気もいいし・・・・・
会場の最寄りは千駄ヶ谷駅、
華の中央線でも千駄ヶ谷~信濃町辺りなんとなくかすんだ一帯であり、地図を見ても「赤坂御用地」、「新宿御苑」の間をぬって通っているなんとなく不自然で無理っぽい路線なのであります。
甲州街道も四ツ谷御門から内藤新宿へは現在の地下鉄丸ノ内線が通っていますし、どちらかというとこちらが表通りですね。
明治20年代、国有化前の「甲武鉄道」は開通済の新宿から小石川の陸軍砲兵工廠に至る市街線ルートを、おおむね今の靖国通り(地下鉄新宿線に近い経路)を通す無難な計画だったものを、陸軍の強力な要請というか横やりというか、かけ引きあるいは「そんたく」とかで青山練兵場(現神宮外苑)に鉄道を通すことになったようです。
おまけに、ここに線路を通すためには四ツ谷のところに宮内省管理地や学習院の位置にトンネルを掘るはめになったというのもなかなか大変だったということです。
(本の風景社、中村建治著、『中央線誕生』)
明治神宮も神宮外苑も明治天皇崩御後のもので、この辺りは長く軍用地でありました。
国立競技場は目下建設中。
政治家の皆さんの見栄や面子ばかりでオリンピック本当に間に合うのでしょうか?
ちょっと足を運んで、「鳩森八幡神社」。
かなり大きな社で、都指定有形民俗文化財「千駄ヶ谷の富士塚」は知る人には有名だし知らない人には有名でない(当たり前だけど)
更に歩いて「神宮球場」。
実は私「隠れヤクルトファン」なのであります(今は地元ロッテ)。
高校の同級生の父親がヤクルトの偉い方で、神宮のキップは紙切れ同然に手に入ったものだったのです。
神宮と川崎(対ジャイアンツ除く)はお金を払って視るものではないというのが常識でありまして、当時のヤクルトも大洋もうんと弱くて、球場もうんとボロッチかったのです。
野球なんかどうでもよくて、ほとんど客がいない外野席の芝生で寝っころがえるのも駆けまわるのも酒(一升びん持ち込み)も自由という素晴らしい環境だったのです。
そういえば、試合終了後「おでん」の屋台でまた酒を飲み、終電がなくなって渋谷の宮下公園でふとん代わりの新聞紙を取り合いながら野宿もしましたっけ。
明治天皇バチ当たりの若き日の神宮外苑、どうなっているでしょうか。
川崎球場は既になくなっていますが今日の神宮はセ・パ交流戦、東京ヤクルトVS埼玉西武がまもなく始まろうとしています。
黄葉で話題になる絵画館前の銀杏並木は、今の季節は青葉が映えた眺めです。
球場の方からは時折歓声が聴こえてきます。
外苑の楕円の道を歩き尽しまだまだ陽高い中、信濃町から帰りの電車に乗ったのです、千葉の最寄り駅まで乗り換えなしで約1時間。
車内は結構混んでいたのですが、杖をついた私を認めたお兄さんが席を譲ってくれました。
一度は辞退したのですけれどせっかくなので席をいただきました。
彼は水道橋で降りて東京ドームへ向かうところのようです。
まだまだ陽が射す昼下がり。