正月でも近所のスーパーは元日から営業していますし、コンビニエンスもあるし、多少商品棚は心細いところもありますが、買い置きなんかしなくても全然不自由を感じません。
これが良いことかそうでないことなのか。
「おせちもいいけどカレーもね」(ハウスククレカレーのCM)は今はやっているか知りませんけれど、やったとしてもまるでインパクトありませんね、もはや。
おせち料理というものは正月から七草の頃まで食いつなぐものだったため濃いめの味付けをしていたものですが、そんなに日持ちを考えることもなくなり味も淡白になってきているようです。
今年は珍しく暮れのうちに年賀状を書き終えやれやれさんでしたが、元日午後に電話がありました。
出てみると親戚の叔父さん。おや珍しい。
特別の用事はなくて、「今年は電話年賀状にしたんだよ、たまには直接声を聞いてみてもと思ってね」
叔父さんとは1年半くらい前に法事の会席で会った以来。
うーんそう来たか、なかなかいいではないのお。
到着年賀状は1Fの集合ポストまで取りに行かなければなりません。
配達はそんなに早くないのだけれど、出していない人からはがきが届いていたら返信を書かなければならないので夜になってポストに回収に行きました。
多いのだか少ないのかわかりませんが、例年あいさつを届けてくれる方々の名前が記載されています。
年賀状なんて虚礼だともいわれていますが、仕事や私生活で永く接してきた人たち・・・たぶん今後も会って話をすることは少ないでしょうが、それぞれに元気で暮らしていることがわかるだけでも大切なものだろうと思うのです。
世田谷の姉からの1枚。
春に次男が結婚するということ。
久しぶりの慶事です。
一方横浜の義理の叔父は、週1度ディサービスに通っていますと。
私もそれなりに歳をとりましたが、思えば叔父叔母の世代は80代、90代なのですね。
こう言っちゃあなんですが、人生の晩年にかかり年賀状が届くのは嬉しいし、来年も再来年も変わらずにいてほしいと思うのです。
厳密には同期といえませんが、ほぼ20年苦楽を共にし勘定系システム乗換の際で実務責任者の立場にいた私をずっとフォローしてくれたS.H.からの1通。
手書きのコメントには、同僚のSが亡くなったと書かれていました。
冗談だろうと眼を疑いました。
Sとも20年の間、仕事ともプライベートとも切り離せない関係でありました。
時折本郷三丁目の居酒屋「加賀屋」で焼きとんと煮込みで会社の悪口を云い合う仲だったのです。
どうしようか。
ちょっと遅い時間でしたがコメントを送ってくれたS.H.に電話してみました。
S.H.ももう15年くらいご無沙汰だろうと思います。
会社は一旦解散して他社やそれぞれの部門に散っていき、それぞれということになっていましたが、
Sとずっと同じ職場であったS.H.から事情を聞くことができました。
いつも家族の写真を入れた年賀状をくれたS、まだ若いのに、
2年ほど前にやはり同僚だった奥さんに先立たれ、ちょっとさびしくなった年賀状、
また一緒に本郷の居酒屋に行ってみたいなあ、
今であればどんな話をするのだろうか。
会社のああだこうだなという話題はないのだろうと思う。
暮らしのの事、家族の事、健康の事、生きかたのこと・・・・・・・
せめての年賀状も届かなくなったのかな、なんとなく、なんとくなく。
あゝ をとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ